4月30日はベトナム解放記念日

佐賀の山下です。

1975年4月30日、サイゴン陥落と南ベトナム崩壊。

南部解放記念日とも呼はれ、サイゴン陥落を指します。

当時、全世界で、翌日のメーデーで喚起の声で盛り上がりました。

わたしは、青春真っ盛り。

ベトナム反戦、沖縄返還のたたかい、暴力学生のテロ反対、大学民主化の運動に参加し、学内で授業が受けられず、学外ゼミなどで、経済、社会問題での思想・哲学、方法論、史観などを、いまわ亡き恩師から学びました。

学んだ学部は教授も変わり、社会政策ハウツー的に変質したようです。

わたしは、69年入学、71年に退学しました。

松田さんが全共闘一派に襲われた1年後の退学。
ベトナム解放時は佐賀県鹿島市で共産党専従をしていました。市内のメーデーでの歓声とも驚きの声は、いまでも覚えています。

ベトナム解放から37年、米国は政治・経済面で相対的力を低下しまがらも、いまでも、軍事支配体制は変わらず、従属国に経済・軍事負担を押し付けています。

いま、野田首相が米国参府し、臣下の礼をしています。

この九条の会が、日本国民の未来を切り開く世論喚起の一翼になってほしいと思います。

松田さんを支え、そして、このメーリング・ポスト、HPを支える皆さんに感謝し、わたしも佐賀で、政治刷新の運動を続けていきたいと思います。

「4月30日はベトナム解放記念日」への2件のフィードバック

  1. 山下さん皆様 木村誠です。

    そうか、37年前だった、あの日ボクは確かTVでベトナム正規軍が南ベトナム首相官邸?
    に解放軍旗を掲げた映像を見たんだ。(今だったらネットであっという間に世界中に情報が届くね)
     パリ和平協定が締結され、アメリカが撤退したから時間の問題とは思っていたが、こんなに早く
    解放が実現されるとは思ってもみなかった。
    その後、ベトナムは共産党の官僚主義と経済運営の失敗、ソ連崩壊を経て、
    ドイモイ路線を確立したように見えるが・・
    ベトナムは経済発展をアセアンを通じた東南アジア経済共同体の確立、TPPに参加することで
    実現しようとしていますが、原発導入を推進したりしていますね。やはり、核兵器を持てる能力を示したいのでしょうね。
    如何なものかと思いますが・・
    しかし、なにはともあれ、72年法政入学後最初のデモはベトナム反戦、
    相模原補給廠に行って戦車をベトナムに送るな!と叫んだものです。


  2. 佐賀の山下です。
    きのうは、「ベトナム解放記念日」ということだけで、投稿しました。

    わたしは、世界史的、経済学的な資本主義の帝国主義段階での植民地化する軍事的侵略戦争だったと思います。
    日本、フランスの植民地化に対する民族解放のたたかいにアメリカ帝国主義が介入した末に、南ベトナム人民の民族解放戦線(マスコミなどは、「ベトコン」といい、世界の資本主義と共産主義の運動の極地的な戦争と報道しました)のたたかいだったと思います。
    アメリカが「ベトナムの国は、ベトナム人が決める(民族自決権)」への侵害・軍事介入(南ベトナムかいらい政権擁護を名目にしましたが)をしましたが、多大な犠牲を払い民族統一戦線派の勝利したたたかいでした。
    このたたかいは、ベトナム人自身の主体的たたかいで勝ち取ったものですが、世界中でベトナム反戦運動がおこりました。
    日本でも、沖縄返還闘争と深く関わりを持ちました。沖縄の米軍が参戦していました。
    解放後のインドシナ、ベトナムの推移も複雑ですね。
    また、アメリカはじめとした軍事問題、発展途上国の問題など世界の平和、経済問題は解決することなく紛争は続いてます。
    沖縄問題でも、日本帝国主義の敗北させた連合国側のアメリカが一方的に占領を続け、日本政権はサンフランシスコ条約、安保条約などを締結し、従属体制がいまなお、続いていると思います。
    いま、野田首相が米国参府し、米国いいなりの宣言をするはずです。
    これまでの自民政権と全く同じです。
    自主的外交政策を確立しなければ、世界からの信頼が得られません。
    わたしは、世界から、いまの政権も笑い者になっていると思います。

    法政で学んだ民族自決権、民主主義革命・統一戦線論を補足させていただきます。

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