「2活動報告」カテゴリーアーカイブ

6.29首相官邸大包囲デモ!参加者の声

その5
7月1日の「東京九条交流会」で隣に座った土建のお兄さんに
「20万に集まったと言っているけど、警視庁発表は1万ちょっと。本当に集まったのか?」と、聞かれました。
「警察の発表は昔から私たちの数は極端に少なく発表する。20万人集まったかどうかは正確にはわからないが、歩道に入りきれず、車道にも人があふれ、多すぎて身動きもままならない状態だったので、1万2万という数ではない。」と答えました。
 テレビでも若干放送されたので、関心はあるようでした。
20万という数は、前週の4万5千人の延長線上にあると思います。再稼動決定への抗議行動といえます。
 運動は、粘り強く、しつこく行うことが重要と思います。「6.29デモは歴史的なデモ」ではありますが明6日にも官邸への抗議行動はあります。
 「再稼動やめろ!」の声を官邸にぶつけようではありませんか。私は体調と天気次第ですが、ウン万人分の1人として参加するつもりです。
 大声を張り上げると呼吸が苦しくなるので、立っているだけですが、金曜日の夕方は首相官邸に集まろうではありませんか!(安藤)

6.29首相官邸大包囲デモ!参加者の声

その1
地震がこわいので、東京方面には余り出て行きたくないの
ですが、野田も枝野も余りにひどい対応なので、一言文句
を言おうと思って参加しました。
 若い世代が思いの外沢山参加していて嬉しかったですね。
(埼玉県の旧・大宮市在住の笠原です)

その2
大飯核発電所再稼動反対!人人人人々の波!
3.11の大きな犠牲の上に核発電所の危険性を見抜き
「核と人類は共存できない」と認識し始めた国民は
原子力ムラの腐った政治家、資本家・東電幹部、エリート学
者・マスコミを許さないだろう。
歴史の変化を体感したデモでした。
終了後のビールが美味かった!
次は、7.16さよなら原発大集会!(キムラ)

その3
 6.29のデモの感想ですが、車椅子、乳母車の人もいて
今までには考えられないような雰囲気でした。
警備の警察官も小さな声で再稼働反対と言っていたそうで
す。
国民の怒りは本当に深くて大きいと感じました。
(迷子になった甲田です。)

その4
霞ヶ関なう。すごい人波。みうごきできない。空にはヘリ
コプターが5台飛んでる。帰宅しました。本日のデモは参加
者15万人。たしかにそのくらいはい ました。航空写真があ
るから、数えてみればいいんですよ。<警視庁・・ひと桁下
はいくらなんでも、でたらめだろう・・・というのはともか
く日本ではデモに来るのは百人に一人だから、実質的には
一千万人の意思だよ。
 実際、福島がまだなんにも片付いていないのに、安全なん
かそっちのけ で無理やり再稼働なんて論理的にも道義的に
もありえません。野ダメが財界と官僚と原発村しかみていな
い、国民の命なんかこれっぽっちも考えて いない・・・そ
れを普通の市民が一番わかっているのです。
 この画像はほんの一部で、 霞が関一帯を人の波が覆って
いました。こんな事実を、報道しないNHKはもう死んでいま
す。http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye5068612.html
 昨夜は、還暦集団の我々はデモの正規コースをとばしてタ
クシーで 新橋へ。そこの中華料理屋ではやばやと宴会開
始。一時間くらいしてデモ隊が到着。となりに孫世代のグル
ープが来て、おつかれさん、マスコミ報 道はどうですか?
などとエールを交換しました。
 最後は「野田をぶっつぶすぞー」
昨夜のデモの波。夕暮れ て、デモが動き始めたところ。人数
が多いのでなかなか進まない。車道もあふれて、車が立ち往生
していた。http://p.twipple.jp/3DmCE
 これはデモを取材する海外 メディアのカメラマン。国内より
も海外のほうがまともな報道をしている。
日本国内には報道の自由なんて本当は存在しない。 (カモ)
http://p.twipple.jp/Q8y5s

原発ゼロの日 さよなら原発5.5(ゴーゴ-)集会

 1970年以来42年ぶりの今年、5月5日に日本の原発54基がすべて停止しました。
 Ⅱ部九条の会は「法政大学卒業生九条の会」の旗を持って「さよなら原発集会」に13名が参加し「再稼働反対!原発いらない」とデモ行進をしました。
 5.500人が集まった集会で主催者からは「社会を変えないと本当の意味での原発ゼロはやってこない。今日はスタート地点だ」(内橋克人)と呼びかけがあり、「原発さよなら」「子どもを守ろう」と唱和しました。
「原発が全て止まる歴史的な瞬間。子どもに地球、日本を残す責任がある」(鎌田慧)「安全神話は崩れた。電力は足りなくない。住民の犠牲の上に経済が優先されることは、もう許されない。日韓の市民が一緒になって、原発をなくそう。ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・フクシマ」と気迫に満ちた挨拶(韓国・環境財団崔洌)がありました。


会場入り口では革マル派が宣伝行動をしていました。また、日大全共闘、明大全共闘、芝工大全学闘などの旗も見えました。九条の会の旗は他に一本とのことでしたが市民団体の旗は無数にありました。
会場周辺には右翼が宣伝カーなどを出し、卑劣な罵声をデモ隊の浴びせていましたが、挑発に乗ることなくデモ行進を続けました。
    法政の仲間はマイクがなかったものの肉声で独自のシュプレ。女性陣が活躍しました。次回7月16日はⅠ部九条の会と合同で参加します。マイクを買って、50名規模で参加しましょう。再稼働を許さず、原発を永遠に止めるために!

さよなら原発1000万人アクションのサイトはこちら、5.5集会の報告です。

http://sayonara-nukes.org/2012/05/120505action/

岩手からー鈴木哲夫さんからの報告

昨夜、山田さんから「被災地情報が届いていないよ」と連絡を頂きました。関東などのマスコミの状況がよく分からないので、法政9条の会の書き込みやメッセージで、皆さんが原発問題に力を入れていると考え、被災地情報は遠慮していました。山田さんが「それではイカン!地元から発信しないとイカン!」と檄を下さいましたので、投稿します。

とは言っても、被災地はこの間、厳冬期でボランティア活動も厳しくて、多くの事は出来ませんでした。ご承知のように、瓦礫は一か所に集められましたが、地元の焼却炉では能力に限界があり、全国にお願いしても反対運動が起きて頓挫し、遅々として進まない状況です。それでも4月13日からは、労組の若者20人を引き連れて、陸前高田でボランティア活動を再開します。5月の連休には、全国から知り合いが何人か岩手入りするので、ボラの斡旋をします。法政9条の会のボランティアも希望があれば、セットします。6月に、落語家・三遊亭享楽という真打ちを県立高田病院に招いて、寄席を企画しています。その頃がいいかなとも考えます。

被災地は、仮設住宅から住居再建に向けて高台移転や防災地域作りが着手されています。太陽光発電など中規模事業も進出の計画があります。三陸縦貫高速道路とか、大河口水門建設とか、15メートル以上の防潮堤建設とか、セメント会社・ゼネコン・土建会社・国土交通省官僚が泣いて喜ぶような事業も目白押しです。

一方で、すっかり知り合いになった戸羽陸前高田市長は「被災地復興が、公共事業や消費税やTPPの口実にされていることに怒りを覚える」と怒っています。現地の住民が望んでいるのは「安全・安心の町作り」と、漁業や地元産業を基礎とした雇用の再建です。

被災者は今、仮設住宅から2年後にどこに終の住処を確保するか思いあぐねています。そのための資金として、300万円の義捐金は浪費することが出来ず、実に慎ましやかな生活をしています。着るものは支援物資で済ませ、食料品も質素なもので我慢しています。外食なんて、近所の仮設ラーメン屋とか、弁当屋です。生活消耗品も支援物資が貢献しています。山田さんから「今の支援物資の要望は?」と聞かれましたのでお知らせいたします。これまでもお願いしてきた「生活消耗品・保存可能な食料品」です。衣料品はすでにあふれています。

取り急ぎ、思いつくままに書き込みました。お問い合わせその他、ご連絡を歓迎いたします。今朝も吹雪でまだ寒く、薪ストーブの前から、岩手の鈴木でした。

岩手県は先週(連休中に)、桜前線が通過し、GWの観光地渋滞も終わって静かな田舎町に戻りました。私のGWは、ひたすら薪割りと産直販売用の花苗の出荷に使い果たし、体重が3キロ減ってへろへろになって職場復帰しました。
4月に29人の若者を引き連れて、陸前高田でボランティアを敢行しました。山田さんからの催促もあり、6月の岩手医労連企画を紹介します。6月7日に陸前高田市米崎町の仮設住宅に、三遊亭京楽という落語家(三遊亭円楽一門の真打)を呼んで「被災地寄席」を開催します。この企画の支援を求めています。
6月8・9日は連続してボランティア活動も陸前高田市で行います。もし皆さんが、この企画に連動して現地入りして頂ければ、鈴木がサポートが可能です。
宿泊は、6/7は「あづま荘」が確保できます。
6/8と6/9は一関市内しか宿は取れません。
交通手段は、乗合・山田カーか、新幹線とレンタカーをお勧めします。

さよなら原発5.5集会

当日のジジババ軍団の面々、まだ余裕がありますね

法政同窓の皆さん、今晩は。加藤です。
 昨日の泊原発停止の日に東京の芝公園で行われた「さよなら原発5・5ゴーゴー集会」の詳細な報告は、山口さんからあると思いますが簡単な報告をします。
 当日は、法政九条の会の旗の下に集ったのは、13名でした。前日とはうって変わって好天に恵まれた空模様でした。参加者の皆さん、暑い中お疲れ様でした。
 会場の芝公園23号地は、幼稚園の園庭のようなこぢんまりとした広場で、坂の途中にある関係で窪地のようになっていて三方を樹木などに囲まれたさえない公園です。ここに旗が林立し五千五百人が集まったと言うわけ。ここでもオレンジ色の我が九条の会の二本の幟旗は目立ちました。
 当日のデモの様子は「さよなら原発アクション」の動画にアップされていましたがチラチラと幟を確認できました。我が法政に刺激されたのか、白地に青のスクールカラーで「明大全共闘」と「明大土曜会」の幟が目に付きましたが、林立する旗の多くは連合系組合のもので、九条の会の旗は我々だけだったようにお見受けしました。前回もそうでしたが設営の下手くそで発言者の姿も見えにくく声も聞き取りにくい難点がありましたが場所を移動してからは、内橋さんや落合さんなどのお話しは聞くことができました。二時間近く立ったままでお話しや訴えを聞いてデモは出発。ひと気のないコースを(東京タワーそばは別として)山口さんのシュプレヒコールを唱和しながらデモリました。終点の浜松町芝離宮に着く前からビールの虫が疼いた我が隊列はまたもや解散地点前に脱落。7名で喉を潤しました。
 この席で話題になった一つが東京新聞の報道。当日の一面見出しは横に大きく「原発ゼロ時代に挑む」、縦見出しは「運転46年全50基が停止」。やるじゃないか「東京新聞」てなわけ。ちなみに今日6日の一面見出しは「原発ゼロ 未来へつなぐ」。ひとしきりの議論の後、「東京新聞は、左の産経新聞だ」との言に、妙に納得した僕でした。
 もう一つは、集会の盛り上がりをどう見るか。つまり多いのか少ないのか。結果、共同のあり方をめぐって。会場は「立錐の余地もない」ではなく空き空間もありました。「しんぶん赤旗」によれば全労連主体の「全国連絡会」は、新橋で駅頭宣伝で芝公園の集会には関わっていないようです。どうにかならないのかが結論でしょうか。7日になりました。今晩は、ここまで。

ボランティア報告・石巻へ まだまだ復興程遠い


4月7日から9日まで、日本共産党多摩市議団の呼びかけで、橋本・
小林議員と市民8人で、ボランティアに行ってきました。

 

高速を抜けて、石巻の共産党のボランティア受け入れ事務所に行きましたが、車窓からの景色は、1年前、本当にここに大津波が押し寄せたのか? と思われる光景でした。大型スパーがあり、コンビニがあり、人々の生活は普通でした。でも、事務所の窓ガラスにある「ここまで浸水しました」という表示の矢印は、サッシの扉の半分の高さを指し、確かに津波のすごさを物語っていました。そして、無料バザーを行った女川や南三陸では、あれから1年経っているの?と思われるほど復興にはまだまだほど遠い状況を目の当たりにしました。ここにも「格差」を感じないわけにはいきませんでした。小さな町や村は、このまま放置されるのだろうかと。

 

南三陸町の防災対策庁舎に行きました。遠藤未希さんが最後まで避難を呼びかけた3階を見上げると、涙が止まりませんでした。24歳の未希さん。目の前に迫り来る津波を見て、「未希ちゃん! 逃げろ!」という同僚の声を聞いて、それでも住民に避難を呼びかけ続けたあなたは、どう思ったでしょう、何を考えたでしょう。庁舎前の祭壇に手を合わせましたが、かっこいいことは何も言えませんでした。未希さんの苦しかっただろう最後の姿を思い描き、ただただ涙が止まりませんでした。

多数の児童と教職員の死者を出した大川小学校にも行きました。まずは北上川の大きさに驚きました。このほとりに学校があったのではひとたまりもないと思いましたが、教職退職者としては、「自分だったらどうしただろう」と考えて、背筋が寒くなりました。また、近代的な建て方や、野外ステージまであるこの学校をみて、どれだけ町の人たちが大切にして造ったか伝わってきました。野外ステージの壁面に、宮沢賢治の姿と「世界が全体に幸せにならないうちは個人の幸せはありえない…」のことばが描かれているのがいっそう切なかったです。 ボランティアの疲れより、実際に見なければわからない現地の惨状に、心がどっと疲れた3日間でした。

 

7日6時出発 14時、事務所到着 明日行う無料バザーの準備と全戸配布用のビラ折り。
8日8時半 事務所集合 女川の仮設住宅(160戸)へ
・全戸に〈米1.5㎏、タマネギ・ジャガイモ、トイレットペーパー、ホカロン〉の入ったセットを無料配布。大変喜ばれた。
・集会所で衣類などの無料バザー。1時間足らずで殆どなくなった。
・全戸訪問し、要望などの聞き取り。要望の多くは、追い炊きの出来ない風呂のことや石巻に出るバスの不便さ、高齢者にとって布団を上げ下ろししないと食事が出来ない部屋の狭さなどであった。
午後、女川の被災状況と女川原発の視察。ここで「原発反対 事故で止まるか、みんなで止めるか」の大看板を見る。
センターに戻り、次回行うバザーの準備、衣類の整理などを行う。
宿舎に帰る途中、日和山から石巻市街地の全貌を見る。火災にあった門脇小学校。壊れた自動車の山。市立病院などを見る。
9日午前中、ボランティア受け入れセンターがお休みのため、南三陸へ。合同庁舎、防災対策庁舎、大川小学校などを視察。
午後 松島経由で帰路に。  
  遠藤佐知子(67Ⅱ社)

浪江町ボランティア

二部9条の会に皆様
 
娘に一度ボランティアに行ったらいいね、と探していましたらこの土日の応援ツアーがあり中野から3名で参加しました。市民福祉団体全国協議会が主催した「第5回パラソル喫茶応援ツアー」です。
浪江町の方が住んでいる仮設住宅を訪問交流してきました。市民協も始めての福島被災・避難応援だったとのこと。50世帯の方が、山の上の仮設に暮らし、3ヘクタールの土地を開墾し、農作物を作るのだというので、農機具代10万円をもっていくというもの。元はWAC長寿社会文化協会の「まごごろサービス福島センター」がコンタクトをとってここ半年くらい支援にはいっていた、とのこと。20名くらいの方に、我々12名が加わり、そうですね、そこそこ本音の話が出来たかとおもいました。コーディネーターの方は、「あんなにいいお顔をみられたのは初めて」といわれるくらいでした。浪江焼きそばをご馳走になり、仮設も見せていただき、「死ぬときは浪江に帰りたいなー」と62歳が話すのを聞くのが苦しかったです。今はつき10万円の東電の保証金で暮らしているけんど」とも。見通しのつかないくらしが一番つらいですね、と相槌を打つ事しかできませんでした。
東松嶋市のひびき工業団地ではパラソル喫茶のおばさんをしました。
「いつも有難う」「お世話になっているだけじゃ、と思ってね、小物を作ってみようと思う」という女性グループに中古の着物をダンボールで送る約束をしてきました。話をしているところに、「ここに来たら誰かに会えると思って」と避難所で3ヶ月いっしょだったという女性が駆けつけていました。一年たってやっと話せるようになった、と実感がこもっていました。
中野
大畑きぬ代

第17回世話人会報告

3月30日の土曜日

神田の夜、木村君事務所で世話人会を開催しました。

事務所のお隣に「河内屋」というディスカウントショップが

開店していまいsた。出席前にのぞくと安い安い。加藤さんは

これでは近所の店は太刀打ちできないねといってました。

せっかくなのでピーナッツとポテトチップを買って事務所へ行

くと木村君がワインを出してくれました。みんなでちょこっと

飲み、つまみながら話したのが別添の報告文です。

山田さんが岩手日報、河北新報、福島民報、福島民友3県4紙が

合同で発行した各紙の「2011.3.12付紙面」と各県の「福島の今」

などの近況紙面を持ってこられました。

「これはすごい」「首都圏の新聞はここまでリアルではなかった」

など出席者から声が上がりました。

 

次回は連休明けの5月11日(金)です。

一部九条の会の黄木さんにも出席いただき、7.1610万人集会や

7.28本校講演会などの企画を相談します。

ぜひ、スケジュールに加えてください。

 

事務局長 山口潤一郎

公開討論会「脱原発もう一歩前へ」JCJ3月集会の報告

安藤です。
公開討論会「脱原発もう一歩前へ」JCJ3月集会に参加しました。
天候は氷雨降る中、寒さも厳しい中、年寄りじゃなかった、元気なOBが多数参加しており、この種の集会では見知った顔がいるものでしたが、一人もいませんでしたが、これは関心を持っている人がまだまだ多いということと考えます。
実り多い会でしたが、私が特に印象に残った点について報告します。後半はちょっと疲れましたので悪しからず。 続きを読む 公開討論会「脱原発もう一歩前へ」JCJ3月集会の報告