勉強会“韓国民主化運動から学ぶ”を開催

講師に文京洙・立命館大学教授71年Ⅱ部英文科)

「グローバル化の下での韓国政治と市民社会の課題」

 8月31日(土)午後、東京・新宿区内の喫茶店会議室で1971年Ⅱ部英文科入学の文京洙(むん・ぎょんす)立命館大学教授を講師に、韓国民主化運動の勉強会を開催しました。参加者は満席の37人。

 

 

勉強会“韓国民主化運動から学ぶ”

  • 韓国民主化運動の流れを、経済と社会の動きの中で解説

 在学中は「朝鮮問題研究会」でも活動していた文氏は、レジメと共に韓国の産業別賃金水準や大統領選候補者得票数・率、世代間投票率、支持候補比率などのデータも示しながら、韓国民主化運動の足取りを紹介しました。韓国経済成長の流れを見ながらの解説はわかりやすく、また、市民運動の抱えている課題についても率直に語っていただきました。

 

  • 80年代の「光州事件」、民主化運動の大きな転換点

 文氏は、戦後に軍事政権が続いてきた韓国の民主化運動の本格的枠組みができたのが1980年代後半で、80年5月の軍隊の武力鎮圧で多数の犠牲者を出した「光州事件」が大きな転換点になったと強調しました。

 国家・市場・市民社会がそれぞれ独自の原理で存立する近代社会の形ができた時期を「87年体制」と規定されているそうで、市民社会の分野では、光州事件の衝撃を受けて学生中心に「運動圏」と呼ばれる急進的社会運動が、民族派と階級(闘争)派を内包しながら全盛となり、経済社会の面では景気上昇の波に乗って伝統的な農村社会から中産層中心の都市型社会へと社会基盤が変貌していったと、文氏は分析しました。

 

  • 90年代、様ざまな分野で市民運動が活発化

 90年代になると、金泳三政権の下に自由化圧力に直面する中で競争国家体制に移行し、学生運動が野党や一般市民の支持が得られずに孤立化する一方、環境・教育・福祉・女性など個別分野での新しい市民運動が活性化。権力と市場の監視、異議申し立てによる民主化が進みました。

注目すべきは市民立法で、「国民基礎生活保障法」が制定され、「小額株主運動」や、日本でも反響を呼んだ「落薦・落選運動」が展開されるなど、市民運動が活発に展開されました。

 

  • 進歩的政権の誕生により、市民運動が危機に

 金大中(1998~2002年)、盧泰愚(2003~2007年)の進歩派政権の登場と共に市民運動が危機を迎え衰退した原因を、文氏は「たたかう相手がいなくなった」と表現しました。社会の土台部分では、中産層中心の安定した社会(家族・コミュニティ)が崩壊したこと、大卒の就職難や1人家族・2人家族の急増が指摘されました。

 市民運動も抵抗型運動から変化し、自治体改革や草の根運動が重視され、村おこし・まちづくりの地域民主主義が重視されるようになりました。

 典型のひとつとして、ソウル麻浦(マポ)区の「参加」「協働」「疎通」「自発性」をふまえた既存の概念を超えた(オルタナティブな)まちづくりを、文氏は紹介しました。

 この試みも国家情報院の圧力で挫折し、グローバル金融資本のエージェント、権威主義的な政治手法を復活させる李明博政権の登場に対して、再び異議申し立て型運動が沸き起こり、「蝋燭デモ」(2008年、米国産牛肉輸入再開反対に端を発した約100日間の夕刻のデモ)が展開されました。

 

  • 進歩勢力の再結集には、世代対立を超えた新しい価値観が必要

 保守政権である李明博政権内政と南北統一政策の失敗や親族の不正を受けた今年の韓国大統領選挙でしたが、進歩勢力の敗因として文氏は、「候補単一化神話」があったことと、韓国の団塊世代である40代と50代以上との世代間対立を挙げました。かつての民主化を担った50代の63%が右派の朴槿恵(パク・クンヘ)を支持しており、進歩派の分裂があったと指摘しました。

 進歩派の課題について文氏は、民主化勢力の再結集には排除の政治への抵抗へ、新しい価値観、検討課題や行動計画(アジェンダ)の提起が重要であると強調し、講義を終えました。

 

 

質疑から

 大統領選にアメリカが介入? Q=M氏(日朝協会)/2002年、盧武鉉大統領当選の前日、アメリカが介入したのではないかと思われるが、どう見ていますか。

A=文京洙教授

 統一神話はこの時生まれた。支持率第二位の盧武鉉候補と第三位の「国民統合21」が盧武鉉候補に一本化したが投票日直前、「国民統合21」が指示を撤回し、投票日当日出口調査報道に危機を抱いた盧武鉉陣営はメールで「盧武鉉に入れよう」と呼び掛けて僅差で勝利した。

 2012年の大統領選挙でも文在寅候補と安哲秀候補が文在寅で一本化した。しかし、投票日当日の出口調査で文在寅候補が朴槿恵候補に勝っているとの報道に反発した人が投票に行き、朴槿恵候補が当選した。

 なお、盧武鉉大統領は、ぎくしゃくはしたが親米派でもあった。新自由主義政策を推進もした。

 

済州島の基地や原発問題は? Q=T氏(65年入学)/四・三慰霊祭で団長として歌ってきました。 済州島江汀(カンジョン)村での海軍基地建設をどう考えていますか。原発はどうなっているのでしょうか。

A=文京洙教授

  四・三事件は島の共同体を外から潰していく事件だった。基地建設では村長が買収されたりするなどコミュニティを内部から崩壊させている。基地問題は難しい。「平和の島」を宣言した済州島だが、四・三事件が屈折した形で表れている。

 原発は全土で23基ある。朝鮮戦争後、アメリカの後押しで建設が進んだ。韓国は今でも停電が起きるほど電力不足が続いている。一方、原発が原因か、甲状腺がん患者が多く反対運動が起きている。今、核廃棄物処理場(核再利用支援)でせめぎ合っている。去年から今年にかけて、日本の活動家が交流で訪れている。

 

労働運動の現状は? Q=M氏/秋田博司さんと一緒に来た。労働運動の現状と今後をお聞きしたい。

A=文京洙教授

 労働組合の組織率は10%ぐらいと落ちている。若者が加入せず衰退してきている。非正規労働者が六割近くと問題となっているがなかなか対処できていない。産別労組の運動の方が盛り上がっており、社会的アピール力を強めようとしている。民主労働党の分裂原因は北朝鮮の核実験をめぐり、北朝鮮に近く賛成する「民族派」と反対する「階級派」に意見が分かれたことにある。

 

祖国への思いは? Q=K氏(69年入学Ⅱ社)/李恢成(りかいせい)の『見果てぬ夢』を読み、息詰まる韓国社会を知ったが、文京洙教授は祖国へどんな思いを持ってらっしゃったのでしょうか。

A=文京洙教授

 青年時代は民族とか祖国という感覚が強かった。私の両親は済州島出身者で済州島出身者が多い東京・三河島で育った。朝鮮人ばかりの中で日本人を知らずに育ち、小中高と朝鮮学校で学んだ。自分は在日のイメージと違い肩肘張ることはなく育った。大学に入学して民族に目覚めたといえます。朝文研に属して韓国の民主化を考えていた。弾圧されている韓国の学生に自責感があった。

 自宅では日本語を話していた。両親はたまに朝鮮語を使っていた。父はビニールの袋作りやパチンコの景品買いなどで生計を立てていた。94年に立命館に単身で赴任した。2008年に初めて在日が韓国の選挙権をもった(国政選挙だけ)。日韓の友好が高まり、日本が加害者意識を共有されたのは95年の村山談話が頂点だった。底辺では変わっていないが今は在特会等の活動に見られるように最悪の時だ。歴史認識だけでなくグローバル化という課題の共有化が必要ではないだろうか。

 朝文研は多くの大学では朝鮮人だけの研究会だったが、法政Ⅱ部だけは日本人も加わり、湯川教授が顧問だった。あまり肩肘張らずにやれ、社会的に目覚めることになる。大学院で韓国の政治を学ぶ時、法政の四年間が生きた。

 

韓国の投票日は休日になり投票率は? Q=U氏(67年入学Ⅱ社)/韓国では投票日当日が休日になると聞いていますが、投票率につながっていますか。日本の運動についてどう見ていますか。

A=文京洙教授

 投票率はだんだん下がっているが、日本よりはましだ。19歳から選挙権があるものの若者の投票率が低い。三八六世代の50代が盧武鉉をどう見るかで分裂しているが、克服してもう一度結束して欲しい。

 反原発運動など街頭に出ることが意思表示として大事だと思う。投票と投票の間でどういう意思表示をするかが大事だということ。

 「ろうそくデモ」には、今では反発もある。日本でも在特会(在日特権を許さない市民の会)が発足時500人だったのが1万人を超えて、卑劣なデモをしている。子育てしている女性から 「怖い」 との声が上がっている。

 ジェンダー問題で女性車両を作れという声があがると、「男性車両」を作れという反発も起きている。

 

韓国の非正規労働者は? Q=H氏(70年入学Ⅱ経)/派遣労働者の問題をどう見ていますか。私はホットスポットに住んでいいて、とても不安、その意識で韓国の方と仲良くなれるかな。

A=文京洙教授

 非正規率は30%から40%ではないか。日本も韓国も就職・結婚・子育てという人生が特権階級のものになろうとしている。大学進学率が80%を超えているが正規職に就職できないのが現実となっている。