「未来の自分から今の自分を誇れるような選択を」というアピールに大拍手と歓声
密集、鈴なりとはこういうことを言うのだろう。那覇市中心部の県庁前の広場と向かい側の広い空間はアッという間に人、人で埋まった。主催者発表で7,500人。午後6時30分からのオナガ陣営の集結集会は「打ち上げ」とは言わないと強調されていたが、明日の投票箱の蓋が閉まるまでがんばることを弁士が強調する。
右翼と思われる乗用車が軍歌や攻撃するセリフを流しながら、オナガ宣伝カーと群集の間の道路を何度も通過する。沖縄の人たちは、そんな車には手を出さず演説は続く。警察は規制しない。宣伝カー周辺には制服警官の姿はない。
統一候補を支える各政党代表や候補者10人以上の「2分スピーチ」も力が入り説得力があるが、左官業という青年と20代とおぼしき女性のアピールは、特に会場に響いた。
「未来の自分から今の自分を誇れるよう選択して下さい。基地をいったん作られたら後戻りできません。新基地はいらない。日本政府とアメリカ政府が口約束だけで危険な基地をなくさず、新基地をつくることに、沖縄はもう一度県民の意志を示さなければならないのです」「誰に投票したらいいか悩んでいる県民の皆さん、気持ちはわかります」「明日は投票して下さい」と、凛とした叫び。そして会場の共感の熱気。
(それを文字で伝えきれないもどかしさが、本当に悔しい。久しぶりに、暗闇の中でメモする指が震えるのを感じた。)
オナガ氏は、沖縄の心と世界的視野で政治家の責任を問いかけた
オナガ氏の選挙戦最後の演説は、短いながら大きなスケールの内容だ。「今回の選挙は、沖縄の自然、歴史を引き継ぎ、私たちの誇りをもって基地は要らないという大きな志を、アジアの中で発揮できるよう実現させるのが、現在の政治家の責任だ」「21世紀のこれからの子どもたちのために一生懸命がんばらなくてはならない。一緒にがんばりましょう」。
「ウチナンチュウの心」という言葉も出た。聴衆も拍手で応えた。居並ぶテレビカメラの列に向かって意識して問いかけたかはわからないが、彼の言葉と志を“政治家”を自負するすべての者たち、そして“本土(やまと)”の者たちはどう聞いたのか?
(特に取材・報道者は自問しなくてはならないと痛感した。ジャーナリストたる者、たろうとする者の矜持が、ここでも問われているのでは。夜のマスコミ各社のテレビ報道は何を伝えたのか、朝刊は何を書くのか、皆さんに情報を寄せていただきたくお願いしたい。)
基地建設容認に転じた現知事への評価を、タクシー運転手さんから聞く
夜の目がさめるような事象に比べたら、朝から夕方までの選挙支援活動の報告は大した問題ではないが、記録として必要なので記したい。
行動3日目も朝9時から打ち合わせをして地域を分担して法定ビラの「お届け」。ハンドマイクでのアピールも併用した。本日は3人プラス他団体からの1人の4人で数百軒を訪ねたが、集合住宅が多く、階段の登り降りで大変ではあった。傾向としては、一戸建ては反応が良く、民間アパートは留守か関心を示さない人が多かった。
移動に使うタクシーの運転手さんには必ず「選挙情勢は?」と聞いたが、現知事が基地建設へ態度変更したことを「約束破り、裏切りと感じている県民が多い」こと、高齢でありテレビで見る発言姿のおぼつかなさへの懸念があることを共通して語った。沖縄では「約束破り」すれば信頼失墜というモラルがかなり高いということを、彼らの話から理解した。
夜の集結集会へ向けて、市内数か所から「のぼり旗」を林立させながらそれぞれ数百人規模で県庁前まで歩道を移動したが、我々が出発した沖縄セルラースタジアムでは、「入ってもいいですか?」と、小学校前の子ども2人を連れた男性がいた。政策ビラ配布中にも、「私のような1人でも参加できる集合場所を教えて欲しい」と男性に声をかけられたが、県民の意識状況を示す事例ではないかと感じた。
【報告を終えるにあたって】短期間の中でもつかむことができた内容のうち、この報告では裏づけや精査の余裕がなかったため、記載できなかったことが多くある。多少大げさに言うと、価値観や人生観の変更を迫られる内容もあった。頭の中で整理できていないし、いつ整理できるかわからないこともある。でも、ひと言で言うと、現場主義が大切であり、百聞は一見にしかずという先達の言葉の正しさを確認させられた3日間でもあった。明日の日曜日、4日目はどうしようか? パソコンを閉じる前に、まだ悩んでいる。(山田幹夫)