1.28飯田橋駅前宣伝行動の報告と今後の予定
原発が核のゴミ処理や事故原因未解明のまま再稼働に向かおうとする国民支配の縮図であることから、「さよなら原発1000万人署名」に取り組み、法政大学の後輩たちに伝えようと、2012年1月28日に飯田橋駅頭で署名宣伝行動に取り組みました。
準備にあたり、参加者が元気に行動でき、道行く方にアピールできるよう、チラシではなくポケットティッシュを配ること、宣伝カーに横断幕を貼って途切れなく弁士をそろえること、机を出して署名しやすいようにすることを心がけました。
(2012.1.23ポケットティッシュ詰め込み作業)
国公労連から1000個のティッシュを買い取り、以下の図案を外注印刷し、当日四人で詰め込みました。当初、1000個など配れないんじゃないかと意見もありましたがすべて詰め込んだことが当日奏功しました。
横断幕は宣伝カー用と机用の二種類を国公労連に作成依頼しました。いつもお世話になる国公労連には感謝です。
(共産党千代田地区委員会から宣伝カーを借りる)
神保町の喫茶店「エリカ」の先に千代田地区委員会のビルがある。ビルの前に立ち「二十歳ごろによく通ったよな。今、若い世代は来ているのかな。都の真ん中にこんな根拠地がある。大事にしなければな」と夢想していると、千代田地区委員長が徹夜明けのような様子で「二年前に新車を買ったんだ」とワンボックスカーのキーを貸してくれた。当日は来られなかったが、小選挙区候補の富田直樹さんともども法政大学出身だ。私たちには良き仲間がいっぱいいる。「さよなら原発1000万人アクション」の署名宣伝行動用だが、快く宣伝カーをお貸ししていただき、ありがとうございました。
(寒くとも晴れた飯田橋駅頭で演説開始)
当日1時40分から3時30分までの配布、署名、訴えの行動にオレンジの指なし手袋をはめて13名の方が参加されました。駅前の道路に宣伝カーを横付けして、横断幕を貼りつけ、二本の「九条の会」ののぼりをくくりつけて始まりました。
弁士は各自、原稿を用意して参加。元四学部自治会協議会議長、元区議など慣れた弁士の一方で、「久しぶりだ」といいながら恐る恐る話し出す仲間も。女性二人は福島県民が9.19で訴えた内容を披露。往年の四協議長は「やはり一番上手だった」と評判をとり、終了後の御苦労さん会では「またやりたいね」と。
(1000枚配布、52名の署名)
ティッシュの配り手は手に持てる数が限られているため、何度もなんどもティッシュ置き場に戻り道行く人に配りました。1000個配布は不可能と思われていましたが、なんと完売しました。一部九条の会事務局長も参加、寒い中お疲れ様でした。
署名の受付では、優しい声が張り上げられ、署名机の前から一歩も引かず52名の方からいただきました。
(参加した皆さんの声)
「法政女子高の教師とおっしゃる方が署名してくれた」
「松戸の可愛い女子高生二人が『お母さんたちが心配している』と署名してくれた」
「思ったよりティッシュの受け取りが悪い」
「若い女性や大学生が受け取ってくれない。どうしてだろう」
「原発報道の在り方に問題があり、自分の問題ととらえられないのではないか」
「卒業以来40年ぶりの演説だった」
「私は毎日やっているので、変わりはなかったよ」
「飯田橋でやったことが良かった。ここでやりたかったんだろうね」
「男性が『原発無くなるとどうなるんだろう』というので、もう三つしか稼働していないんですよと、話したら納得してくれた」
「法政同窓生の存在感を示すことができた。宣伝カーが共産党、署名は原水禁、一緒にやろうという訴えが良かった。継続してやりたい」
「ギターやパンダの被り物など、もっとにぎやかにやれたらなおよかった」
「若い学生が反応しないこれが現実か。先輩がやっているという尊敬の目もなかった」
「弁士でしゃべったらどーっと血圧が上がった。宣伝カーは共産党届け先は原水禁、あれはよかった。私のブログにさっそく載せました」
「演説場所は駅の反対側だった。演説していると『署名はどこでできますか』と御婦人にから聞かれた。署名したいと思っている人がいるんですね。こういう方がいる以上回を重ねてやっていくべきだ」
「途中で『中核派』と言いそうになった。法政大学学生運動史の編纂はどうなったの。映画化もできるはずだよ」
「今回、同窓生九条の会が誕生した背景も説明した。演説文には『黒ヘルが襲い支配する法政大学同窓生だから、究極の暴力=戦争反対のために結成した』そして『権力と金で国民を安全神話で洗脳していることも暴力であり、小異を捨てて大同につこう』と訴えた」
(今後の予定)
2月11日(土) さよなら原発代々木公園集会 13:30 集合
2月24日(金) 第16回世話人会 18:30 木村誠事務所
当日、みなさまが集めた署名を集約します。