暴力に抗した友情の絆 -松田さんと「支える会」の40年に寄せて

五十嵐仁の転成仁語(2010/3/26)

少し前、「かんちく」という印刷物が送られてきました。「松田さんを支える会」という団体の機関紙です。
一緒に、手紙も入っていました。来週の土曜日(4月3日)、「1.21事件」の40周年の集いを開くので、出席して話をして欲しいというのです。

法政大学には、悲しい負の歴史があります。一部の暴力学生が、他の学生に暴力を振るい、キャンパスから追い出したり、一生癒えることのない傷を負わせたりしたのです。
松田さんの事件は、1970年1月21日に起きました。当時、法政大学文学部に在籍していた松田恒彦さんは、全共闘を名乗る暴力学生の襲撃によって瀕死の重傷を負い、今に至るも後遺症に悩まされています。
この松田さんの裁判闘争や生活を支えるために「会」が作られました。それが、「松田さんを支える会」です。

私は、ずっと以前から、この「会」に協力してきました。私も、都立大学在学中、暴力学生によって右目を失明させられた被害者だからです。
この事件は1971年9月10日に起きましたが、そのときの様子は、拙著『概説・現代政治』(法律文化社)の「あとがき」に書きました。また、松田さんを支える会・1.21事件30年誌編集委員会編『法政大学70年1月21日-松田恒彦さんと「支える会」の30年』(こうち書房、2000年)にも、「『9.10事件』の被害者として」という一文を書いています。
事件が起きてからは40年という長さですが、この本を出してからでも、もう10年経ってしまいました。この本は、事件を次のように描写しています。

844番教室へは廊下の二つの入り口から、ベランダからは窓ガラスを鉄パイプで打ち壊して全共闘暴力集団は乱入した。
松田恒彦君をはじめ、自治会役員、学生委員を飯島博は指さし「あいつは民青だ、やれ、殺してしまえ!」と叫び、命令に従って全共闘暴力集団は、鉄パイプ、角材、竹竿、チェーンを振り回し、無防備の学生に殺意を持って襲いかかり多数の負傷者をつくり出した。
とくに、松田恒彦君に対しては、言語に絶する蛮行で、4階廊下に引きずり出し、頭部を中心に、顔面、大腿部をメッタうちにし、さらに凶器で乱打した。松田君はその場で血だらけの意識不明に陥らされてしまった。
全共闘暴力集団は55年館、及び58年館の各教室、廊下で凶暴きわまる蛮行をはたらいた上、同校舎の各入り口、構内各所に完全武装の集団を立哨させ、威圧的に検閲し、「民青はいないか」と見回り、血だらけになった学生や自治会に結集する学生を見るや、鉄パイプで暴力を加え、無防備の自由な言動を圧殺した。
彼ら暴力集団の恐るべき蛮行はとどまるところを知らなかった。大学の診療所に乱入し、頭頂部の裂傷を縫合中の法学部2年生……にたいして、看護婦の制止を振り切ってさらに鉄パイプで殴りつけた。
(中略)
メッタ打ちにされた松田君は、救急車で代々木病院に搬送されたが、あまりの傷のひどさに処置できず、御茶の水の医科歯科大学病院に転院し、手術を受けた。松田君は頭部陥没兼亀裂骨折、頭蓋内出血、右脛骨骨折、顔面挫傷、右上肢打撲傷等で危篤に陥り、その後何度も頭部の切開手術を繰り返さなければならないことになってしまった。
その他に自治会の学生委員をはじめ50数名の学生が重軽傷を負う大きな暴力事件となった。事件の3日後、Ⅱ部四学部各自治会は記者会見を行い、彼らの暴力の実態を訴えるとともに、彼らの犯罪を断罪すべく「告訴・告発」に踏み切った(14~16頁)。

松田さんは、幸いなことに、一命を取り留めました。しかし、その後40年経つ今も後遺症は残り、不自由なままです。
1970年1月21日に発生した暴力事件は、松田さんの人生を変えてしまいました。それから40年、松田さんはどのような思いで、生きてこられたのでしょうか。
松田さんの悔しさ、辛さは、同じような暴力の被害を被った私にはよく分かります。事件のことはあまり思い出したくありませんが、しかし、あのときに味わった身を震わせるような強い憤りだけは、忘れることができません。

大学の自治と学問の自由を守る。これは、単なるお題目ではないのです。
時にそれは、身を危険にさらし、人の一生をかけても守らなければならないものなのです。そのために、松田さんは身体の自由を奪われ、私は右目を失いました。
新聞の細かな字などを読んでいるとき、「この右目が見えればなあー」と思うことがあります。片眼であることのもどかしさに、泣きたくなることもあります。

しかし、失ったものは戻りません。それは価値ある犠牲だったのだと、自分に言い聞かせるだけです。
少なくとも、人としての道を踏み外すことはなかったと、誇って良いのではないでしょうか。暴力を振るう側にではなく、振るわれる側にいたということは……。
40年の歳月が立証したのではないでしょうか。暴力に反対し、民主主義を守ろうとしたことは正しかったのだと……。

それに、松田さん。あなたには友情の絆という貴重な財産ができたではありませんか。
40年にもわたって、あなたを見守り、支え、励ましてきた多くの友人たちという、何ものにも代え難い財産が……。
来週の土曜日。その友人たちの前に、ぜひ、元気な姿を見せてあげてください。私も、久しぶりの再会を楽しみにしています。

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