7月1日東京九条の会大交流に参加しよう!

東京九条の会の交流会で「次世代の継承分科会」を法政9条の会で担当することになりました。
 次世代の承継について、どのような分科会を持ったらよいか話し合っています。担当者の一人中村が提案文を出したので、掲載します。是非皆さんで参加し、分科会を盛り上げてください。

 心に懸かることがある  中村雅子
1、 今年3月10日「2012年国際女性デー埼玉集会」が開かれる予定だった。講師は詩人のアーサー・ビナードさん。講演の演題は「さいた さいた セシウムがさいた~3・11後の安心をどうつくりだすか~」。しかし、この演題に対する抗議が相次ぎ、脅迫めいたものもあったため参加者や関係者の安全を考えて集会が中止になったという。
一つの集会が、抗議や脅迫によって中止されたということは小さなエピソードに過ぎないだろうか。
2、 「在日特権を許さない市民の会」(略称:在特会))という会がある。2007年結成。「在日韓国・朝鮮人が握る特権(在日特権)は、余りにも大きすぎるとし、日本からなくすことを目的」(Wikipediaより)に活動している。具体的には、京都の朝鮮人学校が広い校庭をもたないために、近くの公園を使って運動会をするのを妨害し、ロート製薬のCMに韓国人タレントを起用したと攻撃するなどの「活動」をしている。最近、若い人たちの参加が増えているという。
在日韓国・朝鮮人の「特権が大きすぎる」というけれど、彼らには在日米軍の「特権」は見えないのだろうか。
3、 福島から避難した人たちが、どこから来たのと聞かれて「福島」と答えると、相手の態度が変わるという。居づらくなって福島へ帰らざるを得ないこどもたちもいる。
加害者の東電ではなく、被災した福島県民が差別やいじめの対象にされている。変ではないか。
4、 最近、タレントの母親が生活保護を受けているというので、マスコミが大騒ぎをした。
生活保護は憲法25条で保障されている生存権に基づく制度なのだ。暮らしが成り立たなくなったら、保護を受ける権利が国民にはあり、国は保護を受けさせる社会的使命があると憲法には書いてある。
不正受給は担当部署が処理すればよい。マスコミが問題にすべきは、生活保護受給者が210万人にもなり、一方、生活保護を受けられなくて餓死する人まで出ているこの国の深刻さと、格差社会を生み出したこの国の政策である。

先にあげた4つの事例は、今この国にはびこっている暴力とは言えないか。
直接の殴る、蹴るではないが、言葉による攻撃=暴力によって、ものが言えなくなっている。弱い立場の者が社会の片隅に追いやられ、理不尽がまかり通っている。これを見過ごしていいのだろうか。

「在特会」のことを知った時、私は身震いするほどの恐怖を覚えた。
私には、思い出す詩がある。
「彼らが最初共産主義者を攻撃したとき」
マルティン・ニーメラー
彼らが共産主義者を攻撃したとき、私は声を上げなかった。私は共産主義者ではなかったから。
社会主義者が牢獄に入れられたとき、私は声を上げなかった。私は社会主義者ではなかったから。
彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声を上げなかった。私は労働組合員ではなかったから。
彼らがユダヤ人たちを連れて行ったとき、私は声を上げなかった。私はユダヤ人などではなかったから。
そして、彼らが私を攻撃したとき、私のために声を上げるものは誰一人残っていなかった。

「在特会」の「活動」は、ナチ親衛隊のユダヤ人狩りを想起させる。ユダヤ人狩りの果てがあの戦争だった。
暴力に無関心であってはならない。小さな理不尽を見過ごしてはいけない。差別を放置してはいけないことを歴史は教えている。

極論かもしれないが、福島第一原子力発電所の事故は、私たちが見て見ぬふりをしてきた結果起こった事故とも言えないだろうか。(もちろん、直接の事故発生の原因、責任は徹底的に追及・解明されなければならない。)
福島第一原発の事故に私は強い衝撃を受けた。私たちはあわてた。
戦後の民主主義の世の中で、原発は着々と作られ、私たちはそこから供給される電気を使って便利な生活を享受してきた。原発の危険な兆候はすでにあちこちにあった。そこで働く労働者の被曝問題も深刻だったはずだ。でも、私たちは原発を受け入れてきた。
原発が危険なことは知っていたはずなのに、原発反対と言えたはずなのに、なぜ、54基もの原発を作らせてしまったのだろう。福島原発が大事故を引き起こすに至ってしまったのだろう。

戦争は最大の暴力だ。大量の人命を奪い生活を破壊する。
片や、原発事故は福島の人々の生活を根底から奪い、故郷から追い出し、あらゆる命をじわじわと長い時間をかけて侵していく。それは形を変えた戦争とは言えないだろうか。だから、原発は軍事機密のように秘密だらけになる。原発の再稼働は、秘密保全法制定と抱き合わせで進められようとしている。
何故、戦争を止められなかったのかという問題と、何故、原発建設を止められなかったかという問題は、根っこでつながっている気がする。

わが法政9条の会は、「暴力で物事を解決させない」「日本国憲法第9条の精神を世界に広げる」と結成趣旨にうたっている。
私たちは、学生時代、暴力学生集団によって学ぶ自由を奪われた。次の世代にはそんな思いはさせたくないという強い思いを持っている。
それは、戦争体験者が、あんな酷い目にこどもたちを遭わせたくない、だから二度と戦争を起こさせてはいけないという思いと通底する。
何ができるだろう。暴力に立ち向かう勇気はどうやったら生まれるだろうか。

学生時代の体験を語ろう。
暴力集団が学内を支配し、授業を受けられなかった悔しさを。
暴力集団に襲われ、瀕死の重傷を負った松田さんや学友たちのことを。
松田さんと共に歩んだ仲間たちの40年を。

暴力集団の暴力の果てに大学管理法が制定され、それは40数年後の今も大学の自治・学問の自由を奪っている。私たちは、暴力をだれが喜ぶか見極めなければならない。
最大の暴力である戦争で必ず儲かるものがいることも、イラクやアフガンの侵略戦争が教えている。

日 時 2012年7月1日(日曜日)午前10時開場
場 所 正則高等学校 港区芝公園3-1-36
分科会 次世代への継承(担当法大OB)
主 催 九条の会東京連絡会

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