ボランティア報告・石巻へ まだまだ復興程遠い


4月7日から9日まで、日本共産党多摩市議団の呼びかけで、橋本・
小林議員と市民8人で、ボランティアに行ってきました。

 

高速を抜けて、石巻の共産党のボランティア受け入れ事務所に行きましたが、車窓からの景色は、1年前、本当にここに大津波が押し寄せたのか? と思われる光景でした。大型スパーがあり、コンビニがあり、人々の生活は普通でした。でも、事務所の窓ガラスにある「ここまで浸水しました」という表示の矢印は、サッシの扉の半分の高さを指し、確かに津波のすごさを物語っていました。そして、無料バザーを行った女川や南三陸では、あれから1年経っているの?と思われるほど復興にはまだまだほど遠い状況を目の当たりにしました。ここにも「格差」を感じないわけにはいきませんでした。小さな町や村は、このまま放置されるのだろうかと。

 

南三陸町の防災対策庁舎に行きました。遠藤未希さんが最後まで避難を呼びかけた3階を見上げると、涙が止まりませんでした。24歳の未希さん。目の前に迫り来る津波を見て、「未希ちゃん! 逃げろ!」という同僚の声を聞いて、それでも住民に避難を呼びかけ続けたあなたは、どう思ったでしょう、何を考えたでしょう。庁舎前の祭壇に手を合わせましたが、かっこいいことは何も言えませんでした。未希さんの苦しかっただろう最後の姿を思い描き、ただただ涙が止まりませんでした。

多数の児童と教職員の死者を出した大川小学校にも行きました。まずは北上川の大きさに驚きました。このほとりに学校があったのではひとたまりもないと思いましたが、教職退職者としては、「自分だったらどうしただろう」と考えて、背筋が寒くなりました。また、近代的な建て方や、野外ステージまであるこの学校をみて、どれだけ町の人たちが大切にして造ったか伝わってきました。野外ステージの壁面に、宮沢賢治の姿と「世界が全体に幸せにならないうちは個人の幸せはありえない…」のことばが描かれているのがいっそう切なかったです。 ボランティアの疲れより、実際に見なければわからない現地の惨状に、心がどっと疲れた3日間でした。

 

7日6時出発 14時、事務所到着 明日行う無料バザーの準備と全戸配布用のビラ折り。
8日8時半 事務所集合 女川の仮設住宅(160戸)へ
・全戸に〈米1.5㎏、タマネギ・ジャガイモ、トイレットペーパー、ホカロン〉の入ったセットを無料配布。大変喜ばれた。
・集会所で衣類などの無料バザー。1時間足らずで殆どなくなった。
・全戸訪問し、要望などの聞き取り。要望の多くは、追い炊きの出来ない風呂のことや石巻に出るバスの不便さ、高齢者にとって布団を上げ下ろししないと食事が出来ない部屋の狭さなどであった。
午後、女川の被災状況と女川原発の視察。ここで「原発反対 事故で止まるか、みんなで止めるか」の大看板を見る。
センターに戻り、次回行うバザーの準備、衣類の整理などを行う。
宿舎に帰る途中、日和山から石巻市街地の全貌を見る。火災にあった門脇小学校。壊れた自動車の山。市立病院などを見る。
9日午前中、ボランティア受け入れセンターがお休みのため、南三陸へ。合同庁舎、防災対策庁舎、大川小学校などを視察。
午後 松島経由で帰路に。  
  遠藤佐知子(67Ⅱ社)

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