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8/10首相官邸・国会前抗議行動、参加しました

安藤です。8/10首相官邸・国会前抗議行動、参加しました。

霞ヶ関駅4番出口はエスカレーターが無く、しんどいので永田町駅から行って見ました。地上に出てみれば早速警官のお出迎え、国会の向かい側、議員会館前の通りですが、官邸までは行けない、との説明、途中で国会側に渡れる、とのことでしたが、やはりというか止められてしまい、引き返せということになりましたが、私同様の説明を受けてきた方が4人ほどいたので、押し問答の結果、機動隊小隊長ドノの先導で集合場所まで「案内」していただきました。空いていたこともありましたからでしょうか。

規制は厳しくなっていることは感じていますが、警官の言葉遣いなどは昔と違って丁寧であり、警備の警官には個人的にはどう思っているのか聞いてみたい気もしました。まぁ答えないでしょうが。

霞ヶ関駅4番と3番出口の間に陣取り、国会記者会館の外壁に寄りかかれたのでポジションとしては楽でした。すぐ側で車椅子のオバサンが「明日は無い、明日は無い、原発に明日は無い」と替え歌で歌っているのに合わせてタンバリンを叩いていました。この方は他にも作っていて、周辺の皆さんと一緒に合唱しました。

そこで皆さんにお願いです。どなたか、誰でも知っているメロディで歌詞を作っていただけませんか。シュプレヒコールもありですが、カラオケ大会も有効だと思います。歌詞カードなど作っていただけるとありがたいです。

今週から来週は夏休みということで帰省や旅行の方もおられると思います。その方たちは十分鋭気を養ってください。

在京の方は、ぜひとも17日にお出でください。ちょっと人数が落ちたのが気にかかります。暑い日が続きますが、夕方は都心の方が涼しいです。皇居という大緑地を抱えているせいでしょうか。コンクリートマンションの林立している我が高島平より涼しかったです。シツコク抗議行動を!

官邸前で ふる里 を歌って 胸にぐっときました


法政の皆様
昨夜 抗議行動に出かけファミリコーナーに行きました。
丸ノ内線の霞ヶ関で下車しましたが、思いのほか楽に動けるということは参加の人達も ちょいと 夏休みかな・・・・
ファミリコーナーでは、水の提供、具合の悪い人はいませんか?と何ども知らせます。
非暴力をしめす白い風船があちこちに目立ちます。
7時になると「ふる里」の合唱。歌手の方?(名前聞こえず)とトランペットがリードしての合唱。夕闇に響く歌声は、ぐっとくるものがありました。コーラスに参加している私 アルトパートで目立ってみました。
夕闇に浮かび上がる国会議事堂。原発いらない・野田も・枝野も 細野も 千石もいらない。こどもを守れ。大人の責任!国の責任だと。
ファミリブースは鳴り物がなく静かですが、怒りを込めたシュプレヒコールが響きます。
誰でも参加できる、ただ居るだけでも意思表示になるのです。皆さん、諦めず続けましょう。

井上澄枝

ボランティア報告・石巻へ まだまだ復興程遠い


4月7日から9日まで、日本共産党多摩市議団の呼びかけで、橋本・
小林議員と市民8人で、ボランティアに行ってきました。

 

高速を抜けて、石巻の共産党のボランティア受け入れ事務所に行きましたが、車窓からの景色は、1年前、本当にここに大津波が押し寄せたのか? と思われる光景でした。大型スパーがあり、コンビニがあり、人々の生活は普通でした。でも、事務所の窓ガラスにある「ここまで浸水しました」という表示の矢印は、サッシの扉の半分の高さを指し、確かに津波のすごさを物語っていました。そして、無料バザーを行った女川や南三陸では、あれから1年経っているの?と思われるほど復興にはまだまだほど遠い状況を目の当たりにしました。ここにも「格差」を感じないわけにはいきませんでした。小さな町や村は、このまま放置されるのだろうかと。

 

南三陸町の防災対策庁舎に行きました。遠藤未希さんが最後まで避難を呼びかけた3階を見上げると、涙が止まりませんでした。24歳の未希さん。目の前に迫り来る津波を見て、「未希ちゃん! 逃げろ!」という同僚の声を聞いて、それでも住民に避難を呼びかけ続けたあなたは、どう思ったでしょう、何を考えたでしょう。庁舎前の祭壇に手を合わせましたが、かっこいいことは何も言えませんでした。未希さんの苦しかっただろう最後の姿を思い描き、ただただ涙が止まりませんでした。

多数の児童と教職員の死者を出した大川小学校にも行きました。まずは北上川の大きさに驚きました。このほとりに学校があったのではひとたまりもないと思いましたが、教職退職者としては、「自分だったらどうしただろう」と考えて、背筋が寒くなりました。また、近代的な建て方や、野外ステージまであるこの学校をみて、どれだけ町の人たちが大切にして造ったか伝わってきました。野外ステージの壁面に、宮沢賢治の姿と「世界が全体に幸せにならないうちは個人の幸せはありえない…」のことばが描かれているのがいっそう切なかったです。 ボランティアの疲れより、実際に見なければわからない現地の惨状に、心がどっと疲れた3日間でした。

 

7日6時出発 14時、事務所到着 明日行う無料バザーの準備と全戸配布用のビラ折り。
8日8時半 事務所集合 女川の仮設住宅(160戸)へ
・全戸に〈米1.5㎏、タマネギ・ジャガイモ、トイレットペーパー、ホカロン〉の入ったセットを無料配布。大変喜ばれた。
・集会所で衣類などの無料バザー。1時間足らずで殆どなくなった。
・全戸訪問し、要望などの聞き取り。要望の多くは、追い炊きの出来ない風呂のことや石巻に出るバスの不便さ、高齢者にとって布団を上げ下ろししないと食事が出来ない部屋の狭さなどであった。
午後、女川の被災状況と女川原発の視察。ここで「原発反対 事故で止まるか、みんなで止めるか」の大看板を見る。
センターに戻り、次回行うバザーの準備、衣類の整理などを行う。
宿舎に帰る途中、日和山から石巻市街地の全貌を見る。火災にあった門脇小学校。壊れた自動車の山。市立病院などを見る。
9日午前中、ボランティア受け入れセンターがお休みのため、南三陸へ。合同庁舎、防災対策庁舎、大川小学校などを視察。
午後 松島経由で帰路に。  
  遠藤佐知子(67Ⅱ社)

ドイツのテレビ番組を観て

木村さん紹介のドイツZDFテレビの「フクシマのうそ」という番組を見ました。
あらためて東電の罪深さ・犯罪性と津波・地震の恐ろしさを感じました。大海原を白い波をあげて走る津波。陸に上がってからのどす黒い勢いには息を呑みました。そして福島第一原発の惨状。
30分という限られた時間ですから様々な制約があることは仕方ありませんが、幾つか感じたことを書きます。一つの感想として聞き流して下さればと思う次第です。 続きを読む ドイツのテレビ番組を観て

3.11のことなど

法政同窓のみなさん、おはようございます。加藤です。多事項、長文になりますがご一読いただければ幸いです。

1.東日本大震災から一年の3月11日は、法政九条の会のHPに報告と写真もアップされていますが、井の頭公園西園で開催された全国連絡会の集会に参加し、法政の二本の幟旗には14名が結集しました。会場の場所が分かりにくく、「どこだ」の携帯電話を何回ももらいました。最初に池の方に行ってしまうと、会場を説明するのは至難の業。会場案内板や誘導員もなくえらく不親切な集会でした。
 天気は幸い晴れましたが、冷たい風の吹く吹きさらしのグランドで、参加者は凍えました。被災地を想えば「何のこれしき」でしょうか。五十嵐先生が自身のブログ「転成仁語」に書かれていましたが地震発生時刻の震災で亡くなられた方々への黙祷が演壇での発言と重なる不手際もありました。福島からの発言を含め登壇者の発言は良かったです。翌日の「しんぶん赤旗」の演壇から撮った写真後方に本当に小さくオレンジの幟が二つ確認できます。
 デモは、吉祥寺までの1.4キロ。先頭集団の市民グループ集団に何気なく滑り込んでデモをしました。山口さん、きむらさん曰く、シュプレヒコールが時宜に適せず、心を打たない。再稼働を許すかどうかが一つの焦点なのに、それがないのはなんだ、というこです。統一行動のことを含め本気度が試されます。 続きを読む 3.11のことなど

震災一年目に

法政同窓のみなさん、おはようございます。
今日3月11日は、東日本大震災から一年目の日です。今日の『しんぶん赤旗』一面に日本共産党志位委員長名の声明が掲載されていますが、声明にあるとおり、被災地復興は遅々として進まず、東京電力福島第一原子力発電所の原発事故からの復旧もまったく進んでいません。それどころか民主党野田内閣は、財界の忠実なしもべとして、被災地の人々に寄り添うことなく、被災地復興を儲けの機会・対象として上から目線での計画を進めようとしています。
さらに原発再稼働に異常な執念を燃やし、全面撤退を求める国民世論に真っ向から挑戦しています。こんなことを許してはいけません。
今日は、全国で震災で亡くなった方の鎮魂と被災地復興、なくせ原発の国民世論を広げる行動が取り組まれます。木村さんのメールやHPにあるように法政同窓生九条の会としても幟を掲げて井の頭公園の集会に参加します。安藤さんや北嶋さんのメールにあるように、それぞれの地域の集会に参加される方も多く、井の頭の集会に法政同窓がどれほど参加されるのかは分かりませんが我が家では、84歳の母を含め長女、長男家族、総勢6人が参加します。ぜひ多くの仲間とお会いできればと思っています。
同窓生九条の会は、震災発生直後から、岩手の鈴木さんの呼びかけに応えガスタービン発電機を贈り、ボランティア参加も三次にわたって9人が参加しました。中には山田さんのようにすべてに参加した人もいます。この取り組みは、「松田さんを支える会」の活動とともに、あの時代を共に生きた私たちだから出来ることであり、大きな誇りにしていいことだと思います。
柄谷行人が、アジっていたように原発事故の現実が目の前にある以上、私たちはこれに向き合わなければならず、放置することも忘れることもできません。
さよなら原発をめざし共に闘いましょう。
加藤 豊

岩手・被災地に行って

2012年2月1日   中村 雅子 (Ⅱ社)

昨年12月23日~25日、岩手県の被災地に行きました。参加者は、法政同窓生9条の会のメンバー4人です。
23日午前7時30分東京駅前を出発し、Yさんの車で一路東北へ。渋滞もなく天気にも恵まれ、昼過ぎには一関に到着し、鈴木哲夫さんのお宅で、被災者支援についてのレクチャ―を受けました。
鈴木さん曰く、「被災者は、支援物資をもらうのは助かることだけど、津波さえなければ人様から施しを受けることはないという忸怩たる思いを持っているので、接する際に配慮してほしい」と。いきなり、「支援」の単純ではないことを知らされました。 続きを読む 岩手・被災地に行って