カラスも飛ばない町 =フクシマ避難「解除」地域=

       72年社会学部 井上澄枝

8月25・26日地元練馬区の後援会の「福島に連帯する旅」旅行会に参加しました。 総勢200人・バス5台。

1日目は鶴ヶ城見学と夜の交流会。板橋区の後援会も同じホテルになり総勢400人を超えています。会場は美味しい食事と各後援会の出し物に拍手喝采でしたが、一番は東京から駆けつけた吉良よし子さんの連帯の挨拶!選挙中東京の各地で勝手連が行った「きらきらコ-ル」が会場いっぱいに響き渡りました。

翌日は福島第一原発から30キロ圏内のいわき市広野町から、現地ガイドの半沢(元高校教師・いわき訴訟団原告)さん達が同乗して富岡駅までガイドをして下さいました。

「皆さんここは避難解除地域ですがカラスさえも生息しません。町人が2割ほどしか戻らず、カラスの餌が無いからです。ほんとに時間が止まった町です。事故後、一番最初に来たのは泥棒でした。それから野生動物が家に入りこみ、2年5ヶ月も放置された家々は外見はある程度保っていますが中はぐちゃぐちゃでそんな状況を見ると気持ちが萎えてしまうんです。」また避難してきた人達と住民の間に軋轢が生じています。第一原発からの距離で分断され、放射線量で分断され、賠償で分断され更に津波の被災と原発の被災との対応の違いから対立が持ち込まれていると話します。

車窓から見える黒い瓦礫の山・置き場と言っても元は田んぼです。除染した瓦礫が黒い容器に入れられ野積されています。除染の範囲は家の周り20mと田んぼ しかしその田んぼは作付されずに瓦礫置き場になっていて増え続けています。除染を盾にして賠償金の戦いが今後も続くのです。

バスは常磐線竜田駅から更に富岡駅へと進みます。草ぼうぼうの線路。持参の線量計は富岡駅の草むらで3・9マイクロシーベルト/時 あちこちからオオォォォ-・・・という声が上がります。駅舎は津波で跡形もなく、駅前商店はあの日のまま荒れ朽ちています。美容室の大きな時計が2時46分を指したままぶら下がり、駅に置きさりになった通勤用の自転車はそこに日常があったと教えてくれます。

家族が分断され働けず将来の見通しも持てず15万人もまだ避難している。この間の東電との折衝に先頭に立って命を張ってきた人達が今年の3月11日に国と東電に提訴。共産党元県議の伊東達也さんをはじめ822名が「元の生活をかえせ・いわき市民訴訟」として原発事故の完全賠償をさせるために立ち上がっています。福島第一原発は今も危険な状態でストロンチウムを含む汚染水が漏れている。福島だけの危機でなく日本と世界の危機!原発の輸出など正気の沙汰では有りません。

車内では、子どもの甲状腺がんの事、除染費用は20兆とも30兆とも莫大でとてつもない費用ですが、昨今はしきりに除染でなく別な道を模索したら・・・との声に被災者の立場に立つとどうなのか?今福島の原発のある市町村の財政は破産寸前です。交付金の恐ろしいのは別の産業を作らなくても依存し成り立ってきた事でした。第二の夕張市は目前です!・・・・との話がありました。

私達は歴史に学ぶことを!どんな選択にしても人の命が最優先でなければなりません。晴れた福島の空と海と緑がとっても綺麗でした。短時間の交流でしたが良い旅になったと思います。

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