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「川上徹さんとのお別れの会」に参列して

お別れ会今年1月2日、川上徹氏が逝去されました(享年74歳)。

64年再建全学連委員長、66年から72年まで民青中央常任委員を務め、新日和見主義批判で査問を受けた川上氏(40年生まれ以下同じ)のことは多くの方が知っておられることでしょう。

1月24日、日本青年館国際ホールで開催された「川上徹さんとのお別れの会」は300名の友人や偲ぶ方々で満席でした。12名の「お別れの言葉」とご子息の「お礼の言葉」を受けて、参列者全員の献花で締めくくられました。

実行委員長の梓澤和幸弁護士(43年)から法政大学OBにと案内状が届き、Y・K、M・K、J・Yが参列しました。私たちは2000年、法政大学学生運動の歴史編集委員会を立ち上げる際に川上氏と懇談させていただいたことがあります。

同時代社のHPでは実行委員に「素描・1960年代」共著の大窪一志氏、民青中央でともに活動した宗邦洋氏、「突破者」著者の宮崎学氏(45年)、ジャパンプレスの高野孟氏(44年)などが名を連ねており、会場では全学連元委員長の永戸祐三氏(47年)らをお見受けしました。受付でいただいた同時代社の袋には「お礼の言葉」や「お別れの言葉」そして同時代社出版録などが同封されていました。

略歴には「亀戸で生まれ。60年東大入学と共に日本共産党に入党。80年同時代社設立。90年日本共産党を離党」とあり、著書は『もう一度船を出せ』『査問』『アカ』『素描・1960年代』『戦後左翼たちの誕生と衰亡』と書いてありました。

「病状報告」によると2009年ごろから手足の痛みで、帝京大学付属病院で治療を受けていたが、病気をおして活動を続けたものの、2014年胃がんを告知され手術ができず、2015年1月2日永眠されたとのことです。

(喪主) 川上蓉子さんの「お礼の言葉」(抜粋)

60年大学生・青年運動のリーダーでしたが、10年余りで突然活動の場を失い、全ての道を断たれた40年余りの歳月、その後の生き方こそ川上徹の真骨頂であった。彼にはもう一冊書きとどめたいテーマがありました。

「45年の敗戦を幼児期で迎え、戦争の痛みのカケラを実感として受け止め、戦後の貧しさの中から明日への希望を求めて、60年安保を担った僕らの世代。しかし、時代の急速な変化がその世代を消した。左翼と呼ばれた様々な組織も今や消え去ろうとしている。それは左翼の側にも問題があったはずだ。僕らが見ようとしなかったもの、気がつかなかったもの、それを少しでも掬い取って、記録として残したい」

ノンポリの学生に過ぎなかった私が、彼に出会ったのは私にとって奇跡でした。彼が残してくれた沢山の物語と人が、私を勇気づけてくれるだろうと思っています。

配布されたお別れの言葉から(92名の中から抜粋)

高野孟氏(44年)

我々60年代を駆け抜けた世代が、もう一度頑張るとすれば、いったい何をどう頑張るのか、何度も話し合ってうまい答えが見つからないまま貴君はいなくなって、少々途方にくれていますが、なんとかその宿題を背負って生きていこうと思っています。

山科三郎氏(33年)

今、私の机の上に一冊の本があります。『トロツキズム』で、1969年に私と貴方とで編纂したものです。今から見れば問題だらけでも、20歳代の思考面目躍如たるものがあります。

田中武雄氏

1965年6月教養学部自治会再建となった時、法政大学での集会で川上さんから励ましと祝福を兼ねてのあいさつを受けました。

加藤哲郎氏(47年)

『査問』に解説「査問の背景」を書かせていただきました。そこに1972年に川上さんが「君が消えてくれるのが一番いいんだが」と査問者に言われたことを引き、「共産党が党史上最大規模の人権抑圧事件の被害者たちに謝罪するのは、いつになるだろうか」と結びました。あと10年、生き続けていただければ…。残念です。合掌。

吉田嘉清氏(26年)

84問題の時、西神田の同時代社川上徹さんはその場で水道橋の事務所を世話して下さいました。『古在由重 人・行動・思想 二十世紀日本の抵抗者』は同時代社から出版しました。いつも大同団結を心がけてくれた友よ。さよならだけが人生か。

お別れの言葉を述べた12名の中から

平田勝 花伝社社長

65年12月の全学連再建から50年。60年代学生運動の希望の人だった。戦後民主主義世代として育った。61年夏、党綱領決定の時は駒場の党員は数名だった。それが駒場本郷で民青1.000名となり東大生の一割となった。全国でも6つ7つあった。72年の政治的事件に連座し、その後学生運動は急速に衰退した。一つの時代、未完の時代が終わった。君の意思を引き継ぐことを信じるよ。

宗邦洋氏 民青元中央委員

12月11日、コレコン忘年会で飲んだ時は「やり残したことがある。あと5年生きる」と言っていた(これからの社会を考える懇談会)。民青中央の多数派が形成され、民青会館は楽しかったが党は弾圧で応えた。新日和見主義の連中で毎年一回集まり楽しい日を過ごしている。私は後5年頑張りたい。

山崎耕一郎氏(40) 社会主義協会顧問

2001年、三池闘争写真展をきっかけに共産党系、社会党系、新左翼系から三分の一ずつ集まりコレコンを始めた。三分の一のバランスが崩れないように集まってきたことで長生きしてきた。新左翼グループの代表的存在であった樋口篤三さんが2009年に亡くなり、川上さんが亡くなりコレコンのバランスが崩れてしまった。

高柳新氏(39) 民医連名誉会長

いくつかの顔の持ち主だった。学生運動のリーダー、古在・藤田・丸山の後継者、出版者。飲み仲間で医師としてセカンドオピニオンだった。もう一度船を出せの思いでいっぱいだ。

梓澤和幸氏(43) 全学連元委員長

62年11月27日、大管法反対・日韓条約粉砕集会(芝公園)で演壇の姿を見たのが初めての出会いでした。当時22歳と19歳。60年代学生運動の希望を託した凛然とした川上さんでした。査問後の孤独は彼の義侠心を侵すことはできなかった。古在、藤田と共に託そうとしたこと、次世代につなげることは言葉にしても伝えられない。2015年、大事な年の今日は始まりの日だ。母のように優しく見守って下さい。ある時は憤りの龍となって立ち上がれ。19歳の春に考えたことに立ち戻れ。

川上隆(高井隆)

父とは15年一緒にやってきた。父と同じことができるとは思っていないが、同時代社の旗を掲げ続けることが皆さんに報いることだと思っている。

あとがき

『学生運動:60年から70年へ』(日本青年出版社)が最初の出会いでした。学生時代に新日和見主義批判が始まり学友から「法政は無関係だよ」と聞きましたが、その後急速に学生運動が衰退していったことにずっと疑問を持ってきました。97年の『査問』でその実相の一端を知り、学生運動=全共闘というマスコミの喧伝に全学連の一員として闘った法政大学の学生運動を残そうと川上さんのお話を聞いたのが2000年でした。「まじめで大事なテーマだ。作る側の満足が大事だ」と励ましてくれました。「お別れの会」出席者の多くは60年代世代。70年代世代の私にとって「一時代が終わった」のは理解できても、このままでは終われないと思っています。    (JY)

戦争行くな!選挙に行こう!

戦争行くな! 選挙に行こう! 
安倍極右内閣は、断末魔的嘘と誤魔化し解散を強行しました。
安倍極右内閣は、集団的自衛権行使の閣議決定、原発再稼動、労働法制の改悪など暴走を続けていますが、結局、「アベノミクス」は富める者だけがますます富み更なる格差拡大をうみだすだけだということがはっきりして破綻し、国民の年金基金の大半を株式市場に投資したり、TPPを推進するという反動売国の道をさらに暴走しようとしています。
しかも、12月10日には秘密保護法が施行され言論表現の自由を政府の思うままコントロールしようとしています。
選挙論争ではアメリカ追随の安保法制には触れず、1票の格差はほとんどそのままに、憲法違反の選挙制度の下で偽多数派を掠め取ろうとしています。
加えて、「維新」をはじめとする「第三極」が安倍補完勢力として売国的右翼路線を加速させようとしています。
安倍暴走ストップ、政治を変えよう!
法政大学で共に学び学園民主化闘争を闘った私たちは、これらの勢力による九条をはじめとする平和憲法破壊の企てを許すことは出来ません!
69年間戦争をしなかった日本の誇りを継続し発展させるために、「若者は戦争に行くな! 選挙に行こう!」「意思を示そう、選挙に行こう!」を合い言葉として呼び掛けようではありませんか。
オール沖縄の勝利を日本全国に!
沖縄では“オナガ的統一戦線”による小選挙区候補を、各政党が支持して勝利する方法を確立しました。
沖縄に続き本土でも、安倍政権打倒! 憲法改悪反対! 脱原発! を推進する候補者を当選させるため、私たち法政の同窓は、それぞれの場で力を尽くすことを呼び掛けます!若者よ!戦争行くな!選挙に行こう!
意思を示そう、選挙に行こう!

ご案内  講演会『現代に生きるケストナー』 

    ご案内  講演会『現代に生きるケストナー』 
 
 皆さんは、ドキドキわくわくしながら何かを待っていたことはありませんか?少年や少女だった頃に。

 私にはありました。人とのふれあいに不器用だったので、本や漫画が届き、その中の世界に没頭して一緒に冒険することを待ち望んでいました。
 

 児童文学の世界は、色々なことを教えてくれました。
そして「ケストナー」は特に大きなプレゼントをしてくれました。

(「飛ぶ教室」「点子ちゃんとアントン」「エミールと探偵たち」etc.・・・)その頃読んだ本は今でもくっきりと鮮やかに印象が残っています。本を読むことで子どもの頃に培った価値観は、十分年を取った今でも、自分の考え方の理想や基礎として刻まれていると思うのです。

 正義感、大人の世界(世の中)の理不尽さ不公平や計算高さに怒ること、その中でも真っすぐ意欲を持って生きること、正々堂々とすること、卑怯な真似はしないことなど。
 ケストナー自身は第一次世界大戦・第二次世界大戦を経て、私たちの学生運動の時代まで生き、世の中に影響を与えた人です。(生1899年〜没1974年)
 特に、あのヒットラーの時代にドイツに居続け、自分のやり方で抵抗し続けたのは特筆に値します。
 私たちの『世の中への異議申し立て』にも参考になるのではないでしょうか。また若い世代への橋渡しのヒントにもなるのではと思っています。
 ケストナーを知り、沢山のヒントを得ることのできる今回の講演会は、九条の会の皆様にとって大変有意義だと思います。       
皆さん!待ってます!           社会 髙橋泉

日 時 2013年12月21日(土曜日) 午後2時~4時
場 所 エデュカス東京 地下1階 会費 金1,000円
講 師 法政大学Ⅱ部文学部 73年入学 井筒満さん(明治大学中野高校講師/文学教育研究者集団・委員長)
忘年会もあるよ!
場 所 12月21日(土曜日)午後5時~ さくら水産市谷支店

ご案内 勉強会「韓国民主化運動から学ぶ」

ご案内 勉強会「韓国民主化運動から学ぶ」

主催 法政大学Ⅱ部九条の会

8月31日(土)14:00~17:00

ルノアール新宿区役所横店 歌舞伎町1-3-5相模ビル

講師 文京洙立命館大学教授(71年法政大学Ⅱ部文学部英文学科入学)

著書 『済州島現代史』『韓国現代史』『済州島四・三事件』『ろうそくデモを超えてー韓国社会はどこに行くのか』

日本の民主化運動も視野に意見交換したいと考えています。

日韓をめぐる最近のニュースの一部

★ 韓国国税庁「長官が汚職で辞任」「国税庁(改革)法案提出の動き」8月1日

★ 在特会  「広島原爆ドーム前で反日左翼カウンター行動」8月6日

★ 安倍首相 「歴史的使命はあくまでも憲法改正」8月12日

★ 元慰安婦 「12人が調停申請、日本政府に賠償求める」8月13日

★ 慰安婦  「ソウル日本大使館前で大規模集会」8月14日

★ 靖国神社 「三閣僚、議員100人超参拝、首相玉串料」8月15日

★ 松江市  「はだしのゲン」小中学校で貸出禁止8月18日(東京新聞)

★ 強制労働 「新日鉄住金判決確定時に賠償受入意向」(8月19日東京新聞)

以上のように、連日、改憲と日韓関係のニュースが報道されています。

1965年の日韓条約締結で賠償責任は完全に終了したとされていながら、韓国司法は賠償責任を認める判決を出しました。

なぜ、韓国司法は条約を超える判決を出し得たのか。国税庁(改革)法案が提出される動きがあるのか。

一方、日本では靖国参拝議員が倍増し、はだしのゲンが貸出禁止される自治体が現れています。

また、在特会の動きがあり、ジャーナリズムなどで保守・右翼の跳梁跋扈が顕在化しています。

自ら民主化を勝ち取った韓国民主化運動を一緒に学んでみませんか。

6月2日反原発集会!

★ 首都圏反原発連合主催の「0602反原発☆国会大包囲」に参加します。
集合時間 6月2日(日)午後4時
集合場所 文科省向かいの「日土地ビル」前広場 宝くじ売り場前
行動予定 集合後、国会前に向かいます。
目印    法政大学九条の会の旗
交流会  地下鉄虎ノ門駅近くの「さくら水産」
★ 三団体が最終的に首都圏反原発連合主催の「国会包囲」に集結しますが、前段階で二団体が集会デモを予定しています。どちらかに出て国会前にとなる方も多くいらっしゃると考え、全体が集まる「国会包囲」の場に九条の会として集まることにしました。
 ★ 「原発をなくす全国連絡会」(明治公園2時デモ出発)→山口が会場でお待ちしています!
★ 「1000万人アクション」(芝公園23号地2時45分デモ出発)
→木村が都営三田線「芝公園」A1出口(午後1時30分)の地上でお待ちしてます!

 6月1日 講座「どう生き、どう死ぬか」

講師:鳥海房枝さん   講師紹介特別養護老人ホーム清水坂あじさい荘総合ケアアドバイザー/特定非営利活動法人メイアイヘルプユー保健師。「市民福祉団体全国協議会」 から、より良い生き方意思表示のお手伝い 「ら・し・さノート」 を出版

日時:6月1日(土)午後2時~午後4時30分

会場:連合会館(旧総評会館)2階会議室/千代田区神田駿河台3-2-11

連絡先 090-4961-0799 木村

「自分はお葬式はいらない」「骨は自然に還して欲しい」と思うなら、生前から家族等にきちんと伝えなければならない、死後のことを整理しておかねば残された家族が困ります。 死とどう向き合い、どう死んでいくか、みんなどう考えているのか、今回はそうした機会となればと企画しました。人生には転機があり、学生時代、就職や独立、勤め人は退職後、どう生きていくかを考えます。五十嵐仁教授は「団塊よ、死ぬ前に闘え」とおっしゃっています。日本社会は核家族化し、認知症の親を個人で介護する家族が増えていますが、介護生活に疲れ、介護する側が介護を受ける事態になるケースもあります。60歳以上の女性の平均寿命は92歳、その7割が認知症だそうです。 どう死んでいくか、自分が選択できる死に方があるのか。人間らしく死にたいは当然で、話題となっている尊厳死、自然死、平穏死とは何か、一度専門家から聞いてみませんか。鳥海房枝講師から分かりやすく説明が聞けます。

残された人生をどう生きるか、どう楽しむか、交流してみませんか。