詩を一編掲載しました。 「巡り会ったのは」 ごらんください。

文芸の広場 担当です。
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詩を一編 掲載しました。
「巡り会ったのは」
ごらんください。

雪降るや 俳句短歌の作り時-ふみひと

 

巡り会ったのは          洲 史(しま ふみひと)

訪れたのは   土佐高知
坂本竜馬 植木枝盛 幸徳秋水
槇村浩 山原健二郎
自由民権と 革命的伝統が息づく

巡り会ったのは
窪川の原発計画を 漁師・町民一体となって阻止した と
誇らしげに語る 久礼・大正市場の魚屋の亭主
順平という名のお酒の試飲を何杯も何杯も
にこやかに勧める西岡酒造の女将

訪れたのは
松田さんが暮らしたかんちくの郷
南国市のコーポラス

巡り会ったのは
1970年頃の私たち
淡い恋心
青い決心 情熱
暴力に昂然と頭を上げて闘ったというささやかな誇り
暴力を阻止できなかったという悔いをいくらかは解きほぐす語らい

巡り会ったのは
法政時代を胸に精一杯闘い 生きた40年
仲間たちとの果てしない議論 ばか騒ぎ
松田さんのチャーミングな笑顔

★以下 中島氏版 ★

巡り会ったのは
女神たち
一冊の詩集と一つの詩の朗読
洲史詩集「学校の事務室にはアリスがいる」
「オレは帰ってきたのだ
帰るところはない・・・」

巡り会ったのは
一冊の短歌集
蒲原徳子歌集「原子野」
「次々と消えゆく命見つつ尚あきらめられず姉を探しぬ」
「父の背に母よ母よと乳飲み子は泣きのけぞりぬ原子野のなか」

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マスコミのあり方に一石

松野です。マスコミのあり方に一石。
 一般新聞の堕落ぶりは、ひどいものです。私は昔は朝日新聞を、その後毎日新聞を購読していましたが、2年前から東京新聞です。三大新聞で取り上げられる記事内容はほとんど同じで、東京新聞だけは見ごたえがあり、「グット」です。特に原発記事は、三大紙は原発容認あるいは維持派なので、反原発、脱原発の記事を取り上げようとしません。東京新聞は脱原発の方針なので、双方の記事を精力的に取材・掲載しています。TBSテレビ朝の「みのもんた」のニュースは、東京新聞のトップ記事はときどき取り上げています。赤旗新聞の記事は取り上げられませんので、その代替記事としての東京新聞の役割は、大変大きなものがあります。
 親しい革新派の人たちに三大紙をやめて東京新聞に変えるよう声を掛けますが、なかなか替えてくれません。三大紙をやめようとすると執拗な勧誘に負けているようです。
私に言わせると「自らお金を支払って、洗脳を受けているようなもの」「紙面を吟味せずに知らず知らずに買収されているよう」なものです。われら革新派のマスコミに対する緊迫感が足りないのだと思います。東京新聞の部数を伸ばして、三大紙に一泡ふかせたいと思いますが、いかがでしょうか。
 かつて、沖縄の新聞を1年間郵送で送ってもらい購読したことがあります。あまりにも(東京に住むわれわれにしてみると)革新的な記事のオンパレードで、驚きました。この新聞を全都民が購読するとすぐにでも革新都政が実現するんじゃないかと思うほどでした。
 いくら正しいことを言って行動しても、報道されなければ、国民に情報が届きません。 

公開討論会「脱原発もう一歩前へ」JCJ3月集会

九条の会東京連絡会からの情報です。

公開討論会「脱原発もう一歩前へ」JCJ3月集会
第1部「原発事故から何を学び、どう行動するか?」10:10~12:10
パネリスト 吉原毅(城南信用金庫理事長) 秋山豊寛(宇宙飛行士)
第2部「フクシマのいま、これから」 13:00~14:50
パネリスト 伊東達也(福島原発告発住民運動)後藤政志(原子炉設計技術
者)井田徹治(共同通信)
第3部「ジャーナリズムの責任と課題」15:00~16:50
パネリスト 七澤潔(NHK)依光隆明(朝日新聞)
主催:JCJ(日本ジャーナリスト会議)
場所:文京区民センター3A会議室 (都営地下鉄:春日、メトロ:後楽園下車)
日時:3月17日(土)9時半開場、10時開会
資料代:1000円

「九条の会東京連絡会」には協賛金を払っていることから、各地の九条の会の情報が
来ます。
夜の行事には体調に不安があるため、参加を遠慮していますが、
昼間なら可能な限り参加し、勉強したいと思っています。
お出でください。

安 藤  三 四 郎

岩手・大船渡市、陸前高田市へのボランティア報告(2011.12.23~25)

◆岩手・大船渡市、陸前高田市へのボランティア(2011.12.23~25)報告

今回も法政大学OBの九条の会の皆さまから援助金をいただき、岩手県へボランティアに行ってきました。今回は男女4人。車で往復し、大船渡市の被災を免れた民宿と一関市内のビジネスホテルに各1泊しました。以下に私の報告を記します。少し長くなっていますが、時間がある時にお読みいただければ幸いです。(1970年Ⅱ社入学・山田幹夫)

【お餅と干し柿、花壇にツルハシ、そして白い鳥】

春(5月)、夏(8月)に続いて3度目の岩手行き。被災地の状況と人々の変化が、行くたびに印象的に脳裏に焼きつく。1回目は日本ジャーナリスト会議の機関紙「ジャーナリスト」に写真付きのレポート、様々な支援物資を寄せてくれた地元マンションの皆さんへの報告文など、数本をすぐに書けたものの、2回目、3回目となるにつれ、報告をまとめる筆運びが確実に遅くなってきた。体験をしたこともない凄まじい状況を見て感じたことを誰に何を伝えるのか自問自答と自己葛藤が続く。多少のPTSDもあるのか、自身のこれまでの報道関係の仕事のあり方、これからの行き方など、頭の中をぐるぐる回っている感覚が抜けていかず、じれったい(ということで、報告が遅くなりました。言い訳ですが…)。 続きを読む 岩手・大船渡市、陸前高田市へのボランティア報告(2011.12.23~25)