「2活動報告」カテゴリーアーカイブ

3.11のことなど

法政同窓のみなさん、おはようございます。加藤です。多事項、長文になりますがご一読いただければ幸いです。

1.東日本大震災から一年の3月11日は、法政九条の会のHPに報告と写真もアップされていますが、井の頭公園西園で開催された全国連絡会の集会に参加し、法政の二本の幟旗には14名が結集しました。会場の場所が分かりにくく、「どこだ」の携帯電話を何回ももらいました。最初に池の方に行ってしまうと、会場を説明するのは至難の業。会場案内板や誘導員もなくえらく不親切な集会でした。
 天気は幸い晴れましたが、冷たい風の吹く吹きさらしのグランドで、参加者は凍えました。被災地を想えば「何のこれしき」でしょうか。五十嵐先生が自身のブログ「転成仁語」に書かれていましたが地震発生時刻の震災で亡くなられた方々への黙祷が演壇での発言と重なる不手際もありました。福島からの発言を含め登壇者の発言は良かったです。翌日の「しんぶん赤旗」の演壇から撮った写真後方に本当に小さくオレンジの幟が二つ確認できます。
 デモは、吉祥寺までの1.4キロ。先頭集団の市民グループ集団に何気なく滑り込んでデモをしました。山口さん、きむらさん曰く、シュプレヒコールが時宜に適せず、心を打たない。再稼働を許すかどうかが一つの焦点なのに、それがないのはなんだ、というこです。統一行動のことを含め本気度が試されます。 続きを読む 3.11のことなど

岩手・被災地に行って

2012年2月1日   中村 雅子 (Ⅱ社)

昨年12月23日~25日、岩手県の被災地に行きました。参加者は、法政同窓生9条の会のメンバー4人です。
23日午前7時30分東京駅前を出発し、Yさんの車で一路東北へ。渋滞もなく天気にも恵まれ、昼過ぎには一関に到着し、鈴木哲夫さんのお宅で、被災者支援についてのレクチャ―を受けました。
鈴木さん曰く、「被災者は、支援物資をもらうのは助かることだけど、津波さえなければ人様から施しを受けることはないという忸怩たる思いを持っているので、接する際に配慮してほしい」と。いきなり、「支援」の単純ではないことを知らされました。 続きを読む 岩手・被災地に行って

津波の街で春を待つ花―陸前高田ボランティア活動報告

雪が舞う中の北上

被災地へのボランティア参加では、これまで春や夏の呼びかけに都合が合わず機会を逸していたが、今回ようやく念願を果たすことができた。
1000年に一度の規模といわれた東日本大震災に、カンパなど自分のできる支援をなにがしかやってきたが、実際の状況をこの目で見、肌で感じて被災者と連帯することができたらと思っていた。
岩手の鈴木哲夫さんから今回またボランティアを呼びかけていただき、一緒に行きませんかという中村さんの誘いに“渡りに船”とばかりに乗った。年末の3連休は「金」のような時間なのだが、年内に震災地の情況を感じとる最後のチャンス。過ぎゆく時間を「お金」では買えない、この今が大事だと思って参加した。(Ⅱ社 T・T) 続きを読む 津波の街で春を待つ花―陸前高田ボランティア活動報告

岩手・大船渡市、陸前高田市へのボランティア報告(2011.12.23~25)

◆岩手・大船渡市、陸前高田市へのボランティア(2011.12.23~25)報告

今回も法政大学OBの九条の会の皆さまから援助金をいただき、岩手県へボランティアに行ってきました。今回は男女4人。車で往復し、大船渡市の被災を免れた民宿と一関市内のビジネスホテルに各1泊しました。以下に私の報告を記します。少し長くなっていますが、時間がある時にお読みいただければ幸いです。(1970年Ⅱ社入学・山田幹夫)

【お餅と干し柿、花壇にツルハシ、そして白い鳥】

春(5月)、夏(8月)に続いて3度目の岩手行き。被災地の状況と人々の変化が、行くたびに印象的に脳裏に焼きつく。1回目は日本ジャーナリスト会議の機関紙「ジャーナリスト」に写真付きのレポート、様々な支援物資を寄せてくれた地元マンションの皆さんへの報告文など、数本をすぐに書けたものの、2回目、3回目となるにつれ、報告をまとめる筆運びが確実に遅くなってきた。体験をしたこともない凄まじい状況を見て感じたことを誰に何を伝えるのか自問自答と自己葛藤が続く。多少のPTSDもあるのか、自身のこれまでの報道関係の仕事のあり方、これからの行き方など、頭の中をぐるぐる回っている感覚が抜けていかず、じれったい(ということで、報告が遅くなりました。言い訳ですが…)。 続きを読む 岩手・大船渡市、陸前高田市へのボランティア報告(2011.12.23~25)