法政同窓の皆さん、今晩は。加藤です。
昨日の泊原発停止の日に東京の芝公園で行われた「さよなら原発5・5ゴーゴー集会」の詳細な報告は、山口さんからあると思いますが簡単な報告をします。
当日は、法政九条の会の旗の下に集ったのは、13名でした。前日とはうって変わって好天に恵まれた空模様でした。参加者の皆さん、暑い中お疲れ様でした。
会場の芝公園23号地は、幼稚園の園庭のようなこぢんまりとした広場で、坂の途中にある関係で窪地のようになっていて三方を樹木などに囲まれたさえない公園です。ここに旗が林立し五千五百人が集まったと言うわけ。ここでもオレンジ色の我が九条の会の二本の幟旗は目立ちました。
当日のデモの様子は「さよなら原発アクション」の動画にアップされていましたがチラチラと幟を確認できました。我が法政に刺激されたのか、白地に青のスクールカラーで「明大全共闘」と「明大土曜会」の幟が目に付きましたが、林立する旗の多くは連合系組合のもので、九条の会の旗は我々だけだったようにお見受けしました。前回もそうでしたが設営の下手くそで発言者の姿も見えにくく声も聞き取りにくい難点がありましたが場所を移動してからは、内橋さんや落合さんなどのお話しは聞くことができました。二時間近く立ったままでお話しや訴えを聞いてデモは出発。ひと気のないコースを(東京タワーそばは別として)山口さんのシュプレヒコールを唱和しながらデモリました。終点の浜松町芝離宮に着く前からビールの虫が疼いた我が隊列はまたもや解散地点前に脱落。7名で喉を潤しました。
この席で話題になった一つが東京新聞の報道。当日の一面見出しは横に大きく「原発ゼロ時代に挑む」、縦見出しは「運転46年全50基が停止」。やるじゃないか「東京新聞」てなわけ。ちなみに今日6日の一面見出しは「原発ゼロ 未来へつなぐ」。ひとしきりの議論の後、「東京新聞は、左の産経新聞だ」との言に、妙に納得した僕でした。
もう一つは、集会の盛り上がりをどう見るか。つまり多いのか少ないのか。結果、共同のあり方をめぐって。会場は「立錐の余地もない」ではなく空き空間もありました。「しんぶん赤旗」によれば全労連主体の「全国連絡会」は、新橋で駅頭宣伝で芝公園の集会には関わっていないようです。どうにかならないのかが結論でしょうか。7日になりました。今晩は、ここまで。
九条の会東京連絡会大交流会(7月1日)に参加しよう!
●「次世代への継承」をテーマに九条の会東京連絡会の大交流会(7月1日)で分科会に参加したい。 皆さまのお知恵を!
この目論見は、被災地への第三次ボランティアに参加したメンバーの、報告文をどうしようという雑談の中から飛び出したものですが、契機はどうあれ、古くて新しい、なかなか悩ましいこのテーマに挑戦したいと考えております。
九条の会は東京で900ぐらいあり、うち600余にパイプを持っている東京連絡会ですが、多くのところでスタート数年で歩みが遅くなったり止まりつつあるのが実情のようです。「憲法」の文字がマスメディアに大きく載らない情勢が続いてきたり、メンバーの高齢化や、経験交流による活動の刷新がなかなかできないことなどが原因のようです。(もちろん、活発に活動を継続しておられる会も存在しています。)
私たちがエネルギーを使ってきた学生運動でもそうですが、各種市民団体や労働組合で何を後継者に引き継いできたのでしょうか、また家庭で子や孫に何を引き渡すことができているのでしょうか。あれこれ、やり残したことはありませんか。
私はこの問題でも団塊世代へのエール、「死ぬ前にたたかえ」が浮かんできます。
そこで、OB九条の会として、団塊世代(の前後)が口火を切り、地域や職域、家庭での運動などの継承、世代間継承について教訓やコツ、ヒントをまとめることができないものかと頭をひねっている次第です。
一般企業では事業継承へ様々な努力、試みが積み上げられています。マーケティングの視点からのセミナーなどもあるようです。そこから学べるものはあるのでしょうか。
私たちの先輩、同輩、後輩の経験と知力の総動員で、このテーマを究めてみたい、良いチャンスにしたいと思います。
以上は私の私見ですが、5月11日の世話人会でも論議していただければと願っております。
(Ⅱ社OB 山田幹夫 2012.5.1メーデーの日に記載)
5.5原発ゼロ集会!
法政大学の同窓の皆様 加藤です。
29日付で木村さんからメールが届いたかと思いますが、下記のご案内の様に、5月5日のこどもの日に集会があります。
法政九条の会としても会の幟旗二本の「さよなら原発鯉のぼり」を結び付けて、日本の原発がゼロになる日を共有したいと思います。ぜひ多くの同窓の参加をお待ちしています。
5月5日12時45分に 都営三田線「御成門」A1出口の地上で待っています。
会場で出会えない場合は携帯で連絡を!
《5月5日には日本中の原子力発電所が停止します。現在、唯一稼働している北海道電力泊原発の3号機がこの日に定期検査入りして停止。5月5日のこどもの日、東京・芝公園でもう原発の再稼働はさせないことを確認し合う集会を開催します。》
勿論、その後しかるべき場所でしかるべく呑みますよ!
■集会名:原発ゼロの日 さようなら原発5・5(ゴーゴー)集会
■日時:5月5日(土)13:00~コンサート、13:30~集会、14:45~パレード出発
■場所:芝公園23号地 地図(港区芝公園3丁目4、東京タワー北東200m)http://sayonara-nukes.org/2012/04/55npp_zero/
4月30日はベトナム解放記念日
佐賀の山下です。
1975年4月30日、サイゴン陥落と南ベトナム崩壊。
南部解放記念日とも呼はれ、サイゴン陥落を指します。
当時、全世界で、翌日のメーデーで喚起の声で盛り上がりました。
わたしは、青春真っ盛り。
ベトナム反戦、沖縄返還のたたかい、暴力学生のテロ反対、大学民主化の運動に参加し、学内で授業が受けられず、学外ゼミなどで、経済、社会問題での思想・哲学、方法論、史観などを、いまわ亡き恩師から学びました。
学んだ学部は教授も変わり、社会政策ハウツー的に変質したようです。
わたしは、69年入学、71年に退学しました。
松田さんが全共闘一派に襲われた1年後の退学。
ベトナム解放時は佐賀県鹿島市で共産党専従をしていました。市内のメーデーでの歓声とも驚きの声は、いまでも覚えています。
ベトナム解放から37年、米国は政治・経済面で相対的力を低下しまがらも、いまでも、軍事支配体制は変わらず、従属国に経済・軍事負担を押し付けています。
いま、野田首相が米国参府し、臣下の礼をしています。
この九条の会が、日本国民の未来を切り開く世論喚起の一翼になってほしいと思います。
松田さんを支え、そして、このメーリング・ポスト、HPを支える皆さんに感謝し、わたしも佐賀で、政治刷新の運動を続けていきたいと思います。
ボランティア報告・石巻へ まだまだ復興程遠い
4月7日から9日まで、日本共産党多摩市議団の呼びかけで、
多数の児童と教職員の死者を出した大川小学校にも行きました。
8日8時半 事務所集合 女川の仮設住宅(160戸)へ
・全戸に〈米1.5㎏、タマネギ・ジャガイモ、
・集会所で衣類などの無料バザー。
・全戸訪問し、要望などの聞き取り。要望の多くは、
午後、女川の被災状況と女川原発の視察。ここで「原発反対 事故で止まるか、みんなで止めるか」の大看板を見る。
センターに戻り、次回行うバザーの準備、衣類の整理などを行う。
宿舎に帰る途中、日和山から石巻市街地の全貌を見る。
9日午前中、ボランティア受け入れセンターがお休みのため、
午後 松島経由で帰路に。
浪江町ボランティア
二部9条の会に皆様
娘に一度ボランティアに行ったらいいね、と探していましたらこの土日の応援ツアーがあり中野から3名で参加しました。市民福祉団体全国協議会が主催した「第5回パラソル喫茶応援ツアー」です。
浪江町の方が住んでいる仮設住宅を訪問交流してきました。市民協も始めての福島被災・避難応援だったとのこと。50世帯の方が、山の上の仮設に暮らし、3ヘクタールの土地を開墾し、農作物を作るのだというので、農機具代10万円をもっていくというもの。元はWAC長寿社会文化協会の「まごごろサービス福島センター」がコンタクトをとってここ半年くらい支援にはいっていた、とのこと。20名くらいの方に、我々12名が加わり、そうですね、そこそこ本音の話が出来たかとおもいました。コーディネーターの方は、「あんなにいいお顔をみられたのは初めて」といわれるくらいでした。浪江焼きそばをご馳走になり、仮設も見せていただき、「死ぬときは浪江に帰りたいなー」と62歳が話すのを聞くのが苦しかったです。今はつき10万円の東電の保証金で暮らしているけんど」とも。見通しのつかないくらしが一番つらいですね、と相槌を打つ事しかできませんでした。
東松嶋市のひびき工業団地ではパラソル喫茶のおばさんをしました。
「いつも有難う」「お世話になっているだけじゃ、と思ってね、小物を作ってみようと思う」という女性グループに中古の着物をダンボールで送る約束をしてきました。話をしているところに、「ここに来たら誰かに会えると思って」と避難所で3ヶ月いっしょだったという女性が駆けつけていました。一年たってやっと話せるようになった、と実感がこもっていました。
中野
大畑きぬ代
武雄市議会「海兵隊は殴り込み部隊」不当懲罰
佐賀の山下です。
佐賀県武雄市議会で共産市議が「平和問題」での一般質問のなかで、「海兵隊は殴り込み部隊」と指摘発言で懲罰処分(1日出席停止)の不当決議をしました。
この問題で緊急演説会が開かれ、参加しました。
武雄市議会「海兵隊は殴り込み部隊」懲罰は、多数派の沖縄問題での無知さを明らかにしました。江原一雄市議の平和問題での市長質問は、市民に「沖縄の米軍基地問題」で沖縄県民と連帯する大切さを教え、日本の米軍基地が「平和抑止力」でもないことも知らせることにもなりました。
わたしは、懲罰決議が樋渡市長の「震災がれき」決議同様の市長「やらせ」と思います。市長は新採職員あいさつで、「良い親分子分」発言もしています。市長のコンプライアンス、ガバナンスに問題があると思います。古川知事、大阪の橋本市長同様の深刻です。「市長辞めろ!」の声が大きくなることを期待しています。
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8日夜、開かれた武雄市共産市議不当懲罰での緊急演説会に110人が集まりました。
赤嶺政賢衆院議員は沖縄県の米海兵隊の実態と県民被害を国会での具体的追及、民主政権の基地問題政策での裏切りなど報告、市議会懲罰が沖縄県民の想い、「米軍は沖縄県民を守らない」という県民意識を裏切る行為と批判しました。
赤嶺衆院議員は、最初に「海兵隊は殴り込み部隊」発言で、武雄市議会で懲罰処分されてことを聞き、「まさか・・・が第一感情」と、「こんな乱暴な市議会があるのか」と印象を語りました。
海兵隊の役割については、「海兵隊はよく、『殴り込み部隊』いわれるように、真っ先に紛争地帯に駆け付ける任務を担っている」(当時、飯島勲・小泉首相秘書官)、「在日米軍は、沖縄、岩国の海兵隊、横須賀の空母打撃群など海外遠征専門の殴り込み部隊」(2006年1月24日、共産党・志位委員長質問)を紹介。今回の懲罰が、海兵隊への無知さを明らかにしていると指摘しました。
さらに、海兵隊「マリーン」について、「人殺し」と理解する県民が多く、沖縄県民は、犯罪を犯す「クレージー・マリーン」の感情を持っていると述べました。
また、沖縄の米軍の抑止力についても、「沖縄に駐留する米海兵隊は日本防衛の任務をわりあてられていない」「アメリカは日本防衛だけに専念するいかなる部隊も日本に維持していない」(83年当時、ワインバーガー米国防長官)はじめ、いくつかの根拠をあげ、抑止力としての実態がないことを提示しました。
今回の懲罰が、沖縄県民に懲罰を受けた思いがすること、これに屈したら県民は悲しくなると参加者に訴え、激励しました。
江原一雄市議は、懲罰問題で1万7千世帯に4種類2万枚の不当懲罰を知らせる宣伝ビラを配布、多くの市民と話し合いしていること、そのなかで激励が数多く寄せられていると報告。
懲罰が、言論の府の「自殺行為」であること。一般質問当日(15日)の樋渡啓祐市長の「議員の資格ゼロ」と掲載したブログhttp://bit.ly/Hp4Akx を紹介。樋渡市長が「市政担当する資格ゼロ」と批判して、平和を語り継ぐ大切さと「憲法を学び、語り、市政に生かしたい」を決意を披歴しました。
演説会には、懲罰決議に他会派で反対した谷口摂久、宮本栄八の両市議が出席。それぞれが、決議の不当性を訴えるました。
谷口市議は、自分が自民党員であるが、江原市議が地域に根ざした活動をしていること、市民に対する懲罰で、党派を超えて参加したと発言。また、宮本市議も、しつかりした政治信念を持つ、武雄市に必要な人と述べ、ふたりとも、懲罰理由で「海兵隊殴り込み」発言を「反省の態度がない」と根拠すりかえを批判、不当性を語りました。
懲罰問題で、先月30日、沖縄県平和委員会が、牟田勝浩市議会議長に「懲罰糾弾」の抗議文が寄せられています。
第17回世話人会報告
3月30日の土曜日
神田の夜、木村君事務所で世話人会を開催しました。
事務所のお隣に「河内屋」というディスカウントショップが
開店していまいsた。出席前にのぞくと安い安い。加藤さんは
これでは近所の店は太刀打ちできないねといってました。
せっかくなのでピーナッツとポテトチップを買って事務所へ行
くと木村君がワインを出してくれました。みんなでちょこっと
飲み、つまみながら話したのが別添の報告文です。
山田さんが岩手日報、河北新報、福島民報、福島民友3県4紙が
合同で発行した各紙の「2011.3.12付紙面」と各県の「福島の今」
などの近況紙面を持ってこられました。
「これはすごい」「首都圏の新聞はここまでリアルではなかった」
など出席者から声が上がりました。
次回は連休明けの5月11日(金)です。
一部九条の会の黄木さんにも出席いただき、7.1610万人集会や
7.28本校講演会などの企画を相談します。
ぜひ、スケジュールに加えてください。
事務局長 山口潤一郎
本日、世話人会
木村事務所でジジババが集まり、さて、これから何しようか?と議論しています。
ま、酒飲みながらユラユラとやってます。皆さんも遊びに来て下さい。
KIMURA
ドイツのテレビ番組を観て
木村さん紹介のドイツZDFテレビの「フクシマのうそ」という番組を見ました。
あらためて東電の罪深さ・犯罪性と津波・地震の恐ろしさを感じました。大海原を白い波をあげて走る津波。陸に上がってからのどす黒い勢いには息を呑みました。そして福島第一原発の惨状。
30分という限られた時間ですから様々な制約があることは仕方ありませんが、幾つか感じたことを書きます。一つの感想として聞き流して下さればと思う次第です。 続きを読む ドイツのテレビ番組を観て